■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/28/mh303413.html 



山東省徳州市:馬洪衛さんは迫害されて死亡(写真)

(明慧日本)山東省徳州市の法輪功修煉者・馬洪衛さんは2009年9月21日、自宅で食事を作っていた時に警官に連行され、留置場で拘禁されていた約1カ月の間に虐待や拷問をされ、2009年11月5日に死亡した。幸せで円満な家族だったが、妻は夫を失い、娘は父を失い、親や友人は悲嘆にくれている。

馬洪衛さん


迫害を受けた馬洪衛さん

 馬洪衛さん(51歳男性)は、同市の恒豊紡織有限会社の広報部門の従業員で、書や絵に優れていた。しかし1996年、馬さんは頑固な喘息になり、よく息切れしそうになっていた。1年中点滴や注射をし、薬を飲んで生命を維持していた。病気の苦しみは死ぬより辛く、毎日苦しんでいた。診療所は馬さんの「第二の家」になり、周りの人々は馬さんが数年しか生きられないと思っていた。

 顔色が悪くやせ細っていた馬さんは、1996年から法輪功を修煉し、「真・善・忍」に従い、心を修煉し、善を行い、徳を積み、善人になった。喘息も知らないうちに治り、体は健康で活力があふれ、いつも嬉しそうな顔をしていた。妻は自分の目で夫の変化と、大法の素晴らしさをみて、一緒に法輪功を修煉することに決めた。家族全員は法輪大法に恵まれ、幸せな生活を送っていた。法輪功を修煉して14年来、馬さんは1粒も薬を飲んだことがなく、会社で医療費の清算は一度もなかった。これは事実で、人々が自分の目で確かに見ていたことだ。会社の上司、同僚や友人などにも、馬さんは法輪功を修煉して健康になったことが知られている。馬さんは仕事の中で、苦労をいとわず勤勉で着実に働き、ほとんど毎年「労働模範」に選ばれ、人を助けることを喜びにしていた。馬さんには美しく有能な妻と聡明な娘がいて、家族3人は幸せで円満だった。

 1999年7.20から中国共産党は法輪功を迫害して、法輪功を誹謗中傷した。馬さん夫婦は法輪功の無実を晴らそうと、2000年11月に北京へ陳情に行ったが、現地の警官に地元に返された。2001年2月から、2カ月近い間、馬さんの妻は警官に徳州市紡織ホテルに拘禁され、洗脳された。2001年6月、徳州市湖浜北路派出所の警官・鐘華勇は手錠と足かせをつけた馬さんを家から連行した。馬さんは済南王村で3年の労働教養を科された。家族がその理由を聞くと、鐘華勇については局長が決裁したのだから、誰に頼んでもだめだと答えた。2007年、馬さんの妻は再度長庄派出所に野蛮に連行され、不法に留置場に監禁されたが、徳城区公安支局の警官は数万元をゆすって、やっと帰らせた。

 2009年10月1日(中共政権樹立日)以前に、警官らは野蛮に馬さんを連行した。9月21日11時ごろ、馬さんは自宅で食事を作っていた時、市徳城公安支局の国家保安大隊の主任・張希坤、劉大偉や長庄村派出所の数人の警官は、馬さんの家の中に侵入し、いかなる令状の提示もなく、強行に家財を差し押さえ、個人用パソコン、3万元の銀行の預金通帳と3千元近い現金を奪い、いかなる証明書も発行しなかった。その後、馬さんは連行され、徳州市留置場で迫害された。

 警官の劉大偉は留置場に行って馬さんを尋問し、信仰を放棄して、法輪功を修煉しない「保証書」を書かせようとした。もし同意しなければ、労働教養を言い渡すと恐喝した。留置場では、馬さんは非人道的な苦難に遭遇し、眠ることを許されず、眠ると警官に指示された受刑者に起こされた。不法に5日間拘禁された後の9月26日、もとは健康だった馬さんに足のむくみが現れたが、監獄長と警官は問題にしなかった。10日目になり、馬さんの足のむくみはすでに下腹部に達したが、監獄長と警官は依然として問題にしなかった。

 10月7日になって、馬さんは苦しみ、すでに全身がむくんで、呼吸も困難になり喀血したので、やっと徳州市人民病院に入れられた。国保大隊主任・張希坤は急いで馬さんの家族を呼んで、家族に強制的に署名させた。病院では最後に手を尽くしたが助からず、馬さんは11月5日午前8時過ぎ、大量に血を吐いて死亡した。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年11月28日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/22/213065.html

明慧ネット:jp.minghui.org