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「病業」の関からの悟り(一)


文/北京の大法弟子

(明慧日本)今年の夏、私は重い「病業」に襲われました。突然、左脚とすねがふわふわのパンのように腫れ、すねには小さい棗(なつめ)ぐらいの大きさの堅い結節(組織中のかたまり)もいくつかでき、ちょっと触ったぐらいで痛くなっていました。私はすぐ「なぜこんなに速くひどい『病業』が現れたのか、自分のどこに問題があったのか」と私自身に質問し、内に向けて探し始めました。

  私の現在の夫は、先妻が無くなった後、幼い男の子を連れて私と再婚しました。今年、夫は自伝を書き、私は整理を頼まれました。自伝で、夫は数十年前に亡くなった先妻に対して、未だに深い愛情をもち、思慕の気持ちがなくならないと書いていました。夫は、いまだに先妻のことを話すとき涙を流します。それらのことで私は嫉妬心が生じました。

  夫は先妻ととても仲が良く、先妻のことを忘れられません。そのうえ、先妻との間の息子が大好きで、私たち母子には冷淡で、笑顔がほとんどありませんでした。夫の自伝では、先妻の手に「できもの」ができたとき、夫は馬車に彼女を乗せ、いろいろな医者に見てもらい、多くのお金を使いました。彼女の治療費のため、夫は北京に出稼ぎに行きました。しかし、彼女が亡くなったとき、夫の両親はすぐに葬式を済ませたため、夫は彼女の顔さえ見ることができませんでした。夫はとても悲しみ、彼女の墓で一日中泣き崩れました。8年過ぎてから、夫は親族の催促の下に、私と結婚したと書いてありました。結婚後、私たちの仲は淡々としており、その原因を私は全然知りませんでした。

  夫が伝記に書いたことを読んで、私は自分の前半生を過ごした艱難辛苦(困難な状況や辛い場面に出会い、苦しみ悩むような大変な苦労のこと)を思い出し、悔しい気持ちでいっぱいでした。例えば、文化大革命の前期、夫は腰椎分離症になり、自立生活ができず、介護が必要になりました。私は毎日夫を介護しながら、漢方薬も煎じてあげなければなりませんでした。さらに4カ月の息子を抱え、息子の寝る時間を利用して、夫に1日3回のマッサージを行いました。しかし、私が病気になったとき、夫は知らん顔をしていました。また、30歳ぐらいの時、私は病気のため足に力が入らず、杖を使わなければなりませんでした(格好が悪いと思って杖の代わりに傘を使っていました)。

  少し高い階段だと上がれず、手で足を引っ張りあげました。子供がまだ小さいので、ご飯や洗濯などの家事をやりながら、仕事もしなければなりませんでした。1日1回の漢方薬を6年飲み続け、薬物アレルギーが出るまで飲み続けました。夫は私のために、一度も薬を煎じてくれず、一度も病院へ付き添わず、私の病名さえ聞いたことがありませんでした。寒くなって、私は夫に綿入れの服を作るため、いつも夜中の1、2時に寝ていました。しかし、夫は、当たり前のように新しい服を着て、いつ作ったのかさえ聞いてくれませんでした。

  私たち夫婦は一緒に50数年の生活を共に歩んできて、私は3人の息子を育てたのに、夫の自伝には私のことに一言も触れなかったのです。私はこの貧乏な家で数十年の辛酸を嘗め尽くしたのに、先妻とのたった数年の愛情に全然及ばなかったことをとても悲しみました。そのとき、私は、夫の冷たさを感じました。これによって、怨恨と怒りが生じ、自分が大法弟子であることを忘れてしまいました。

  私は、心が落ち着かない状態が続き、知らないうちに、先に話したような「病業」が体に現れました。当時、執着心が邪悪に隙に乗じられたとも知らず、ただの難関だと考えていました。同修と切磋琢磨を数回行い、やっと、自分が強烈な恨みと嫉妬心で邪悪に乗じられたことが認識でき、問題点を見つけたのです。

 (続く)

  2009年11月29日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/18/212842.html

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