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協調人としての修煉体験(三)


文/中国吉林省の大法弟子

(明慧日本)

 二、全体で協力し合い、ゆったりとした修煉環境を作る

 2003年までずっと協調し、同修と交流してきました。出てきた同修は数10人から60〜70人に増えました。そのころ、地元で法輪功が迫害されている真相が絶えず伝えられ、横断幕を作る人は絶えませんでした。真相冊子、チラシ、偽の天安門焼身自殺の真相DVDを民家にくまなく配りました。真相を理解する人がだんだん多くなり、世人の大法と大法弟子に対する良くない考えと抵抗は徐々に変わりました。

 2003年11月、師父の経文『当地の民衆に向けて当地の邪悪を暴露する ◎師父評注』が発表されました。私はこの数年、邪悪が地元で大法弟子を迫害した悪徳行為を暴露すべきだと気づきました。私は本名を使い、自分と家族が受けた迫害事実を整理し、文章にしました。同修の援助を受け、私たちは初めて地元の邪悪を暴露するチラシを作りました。地元の同修たちが協力し合い、このチラシを近くの村の民家、地元の役所、警察署に配りました。こうしたことは大法弟子への迫害に加担している警官を驚かせ、警官らは自分たちの悪事が家族や友人、たくさんの人に知られることを恐れました。迫害に関与する主導者はいつも私の家にきて、責任を回避するため抗議をしました。私は彼らに善悪は報われるという道理を話し、また江沢民が法輪功への弾圧を行っていることは間違いで、彼の個人的な嫉妬の目的を果たそうとしており、法律の基づいたことではないと話しました。彼は帰るとき「あなたの忠告に感謝します。私は必ず考え直します」と言いました。それから、地元の法輪功への迫害は軽くなりました。もっと重要なことは、地元の同修の修煉状態の局面が打開され、より修煉しやすい環境になったのです。

 三、集団で学法し、全体が向上する

 弾圧され始めてから、地元の集団学法、集団煉功の環境は破壊されました。表に出てきて法を守り、法輪功の真相を伝えていた人はほとんど労働教養を科されました。出てきていない同修は集団学法、集団煉功は言うまでもなく、家でも学法、煉功をする勇気はありませんでした。

 集団学法を通じて、みんなの向上は非常に早く、その頃は『九評』を伝え、三退を勧めることが最も多くできたのです。みんな毎日学法した後、三退を勧めることを交流しました。三退を勧めることが難しい人は他の人と交代で伝え、1人は真相を伝え、別の同修は発正念をしました。すべての同修が積極的に行動して、その年の冬が終わるころには地元の村人の80パーセントが共産党の組織から脱退しました。地元で真相を伝え三退を勧めるほかに、タクシーに乗って遠い地域や、大法弟子が少ない地域、大法弟子がいない地域に行って『九評』を配りました。みんな順調で、確実に行うことができました。一人一人の同修が集団学法で、他人との差を探し、内へ向かって探し、お互いに学び合い競い合うことで、非常に早く向上していきました。その時期、みんなは弾圧以前の集団学法、煉功状態に戻った感じがしました。重圧がなくなり、全体が正しく向上し、正念が強くなったことで、周辺のすべてが変わっていきました。地元の人々は、賛美の言葉や尊敬の言葉で大法と大法弟子を褒めたたえました。こうして修煉の環境は、集団学法を通じてみんなが向上した結果、変化しました。

 周辺の地域に住んでいる同修たちは、私たちの地域の修煉状況が変化したこと、同修が小人数の集団学法、煉功を通じて確実に向上したことを知り、私に彼らの地域に行って交流し、集団学法グループの結成を手助けするよう頼みました。私はどんなに忙しくても手元の仕事を手放しても、地元の同修が集団学法し、お互い協力し合って法輪功の真相を伝えた経験を、他の地域の同修に紹介すると決めました。このようにして、私たちの周辺の地域の同修は相次ぎ集団学法グループを結成しました。

 2007年1月、ある同修の地域で集団学法グループを結成することを話し合うことを約束しました。朝は暗いときに出て、同修の家に着くころには大雪が降りました。しかし、この日に来た同修はとても多かったのです。みんなは半日交流し、交流会は成功を収めました。ある同修は弾圧され始めてから、初めて交流会に参加し、感動のあまり涙を流しました。その同修はこう言いました。「この邪悪な迫害のもとで、大法弟子が一緒に歩むことができたことに、言い表せない気持ちを感じました」 交流会が終了し、皆と別れるとき、別れたくないと感じました。外は雪がかなり降っていたので、みな私を温かく引き留めようとしました。私は「大丈夫です。今日の交流会はとてもよかったです。師父が家に着くまで守ってくださいます」と言いました。

 外の道は雪が積もり、すでに自転車をこぐことができませんでした。大雪の寒さは骨の髄まで浸透し、向かい風で目を開けることが困難で、道路を行く人や車両はいませんでした。山道になり、自転車を隣の小さな工場に置いておかなければなりませんでした。向かい風にむかって進み、足を深い雪から抜くのが精いっぱいでした。突然、風の向きが変わり順風になり、風が背中に当たり、1メートル近い深さの雪から足を抜くときは、人に手伝ってもらったように疲れなくなりました。歩いてしばらくして、大風が吹き、前方に家まで道のような跡があらわれました。

  家に着いたあと、家族が「こんなに大変な雪なのに、なぜ山道を通って帰ってきたの」と聞きました。私はこの奇跡的な出来事を話しました。家族は「これは大法の偉大さであり、師父があなたを守ってくださったからです。さもなければ、この大雪の中で必ず迷子になり、家にたどりつけませんよ」と言いました。連れ合いは「こんなに大変な雪が降っているときは、同修の家に泊まったほうがよかったのに」と言いました。私は「修煉者はどんな時でも他人を考えなければならず、同修の家に泊まると、迷惑になるからです。さらに、明日は重要な用事があるから、このぐらいのことはたいしたことはないですよ。みんなが集団で向上し、三つのことをしっかりと行い、師父のおっしゃった通りに行えば、どんな困難も受ける価値があります」と言いました。

 時間がどんどん過ぎ去り、師父の按排とご加護のもとで、同修たちはともに努力し、この最も邪悪な環境で、地元の集団学法は絶えず行われ、徐々に成熟し、みんなが一つになることができました。みんなの力で、邪悪な環境の中で青空が広がり、修生を救い済度する中で、全体で協力し合う力がより大きな作用を発揮しました。

 (続く)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年11月29日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/21/212815.html

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