「病業」の関からの悟り(二)
文/北京の大法弟子
(明慧日本)その後、私は、夫と先妻の愛情は彼らの良い因縁関係のもので、夫が私たち親子に冷淡な態度は、前世で私たちとの良くない因縁関係で生じたものだと悟りました。私は修煉者として、恨みや嫉妬が生じてはなりません。実は最近、夫は私たち親子に対して態度が良くなり、たまに笑顔を見せ、私のことも心配してくれます。夫は元々善良な人ですが、ただ私と話すとき、あまり耳を傾けてくれず、話す言葉もきついのです。夫は常人ですから修煉者のように求めてはいけません。80歳近くなった夫は、私に学法と煉功の時間を多く与えるため、毎日買い物を担当してくれています。彼はまだ修煉していませんが、大法を認め、私の法を実証する手助けもしています。ですから、よく考えてみると、この修煉環境は、私の心性を高める良い機会を提供してくれていたのですが、私は自分を十分修めず、嫉妬してしまいました。この立場から考えれば、私は夫に感謝しなければならないのです。
師父は「この宇宙の中にはもう一つの理、すなわち大きな苦痛に耐えれば、自らの業力もおのずと徳に転化される、ということがあります。あなたが代償を支払ったので、苦痛に耐えた分だけ、転化が行なわれ、徳になります。煉功者として求めようとしているのはまさにこの徳ではありませんか? このように、業力を転化させることもできましたので、あなたは二つのものを得ました。もし、相手がそのような環境を作ってくれなければ、あなたはどうやって心性を高めることができるでしょうか? みんなが和気藹々で、そこに坐っているだけで、功が伸びるなどということがありえますか? 相手がそのようなトラブルを仕掛けたからこそ、心性を高める機会が生まれ、そのおかげで、心性を高めることができて、本当に心性が高まってきたのではありませんか? 三つ得ました。そしてあなたは煉功者なので、心性が高まれば功も伸びるのではありませんか? これで一挙四得となりました。あなたが相手に感謝するのは当たり前ではありませんか? あなたは本当に心から相手に感謝しなければなりません。本当にそうなのです」(『転法輪』)とおっしゃいました。
師父のこの説法はまさに私に向けられたようです。偉大な師父に感謝します。弟子の私は深く迷い込んで、師父が按排してくださった修煉環境をよく理解しておらず、かえって闘争の場にしてしまったのです。
夫は、先妻にいくら愛情があっても数年しか一緒にいられませんでした。彼女はただ少しの愛を得ただけで、早く亡くなりました。夫は常人で、愛する人を時々思慕するのは、これは常人の情です。しかし、私は大法弟子です。私が得たのは大法で、次元が高まれば昇華できます。なぜ、嫉妬心をもたらしたのかというと、嫉妬心は情と同じようなもので、自分の中に情というものがまだ残っているからだと思います。この情を取り除かなければ、いろいろな執着を放下できないと私は認識できました。
原因を探し出して、私は学法・煉功・発正念などをいつもより多く行いました。自分の頭の中にある悪い念を徹底的に取り除き、修煉をやり直しました。私の状況が良くなるにつれて、病業の症状はしだいに消えていき、いま体は完全に回復しました。
私は以上の事例を紹介することで、周りの人々に大法の素晴らしさを伝えています。もし、私が大法の修煉をしなければ、傷つけられた心を持って、平常通りに生活できるわけがなく、きっと大騒ぎを起こしたことでしょう。少なくとも、夫の自伝の手伝いなど絶対にしません。私は大法の修煉者であるからこそ、家庭のトラブルに良く対処できました。私は修煉者で、大法の要求に従い、内に向けて探し、歪んでいるところを正し、心性を高めるのが第一の目的だと認識できました。
私が大法の修煉をしなければ、体にこんな重い病業が現れたら、病院にいくしかありません。しかし、病院に行っても、数千元かけても完全に治る保障はないのです。私は病院へ行かず、一元もかけず、一粒の薬も飲まず、学法・煉功・内に向けて探すことによって完全に治りました。これは大法の力です。なぜ、中共の残酷な弾圧の下で、修煉者は大法の修煉を堅持しているのか、なぜ法輪大法は世界100カ国以上の国に広まっているのか、なぜ多くの国の支持と保護を得られたのか、それは、どの国の国民にも恩恵を与えられるからなのです。
以上、不適切なところがあれば、同修の慈悲なご指摘をお願いします。
(完)
2009年11月30日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/18/212842.html)
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