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観念を放下し、法に照らして修煉・家庭・仕事のバランスを取る


文/大連の大法弟子

(明慧日本) 最近、夫はある同修と共に大法の仕事をやっているのですが、仕事をしている間に、同修がよく生活の困難を訴えると、夫も同情して手伝っていました。手伝う過程で、夫は常人的な善を表し、大法の原則から逸脱していました。私はそれについて夫と交流しましたが、彼は自分が間違っておらず、善の行為だと思っているのです。ふと、夫だけでなく、自分も自分なりの理解で大法に符合していると考えていたのかもしれないと気付きました。実際は大法の真・善・忍と差があったのです。

 この事で、私は自分なりに理解した真・善・忍を大法として、同修と照らし合わせていたと理解しました。同修と協調する中で、自分が大法の中で理解していたことを同修に押し付けることも同じだと思います。真・善・忍は、すべてに有益なことで、害になることはないのです。

 私たちが邪悪に迫害されることを我慢しながら、大法を堅く守ることは消極的な「忍」であり、大法の「忍」でないと思います。このような「忍」は、邪悪に利用され、法を迫害する生命に対する無責任な行為です。私たちが良い人だと、常人が大法弟子の善を利用することを許すのは利己的な善です。それは生命の未来に対する無責任であり、本当に相手のことを思う善ではありません。同修に関する話を勝手に言いふらし、口を修めないことは大法と同修を傷つけるもので、無責任な「真」で、法にふさわしくありません。衆生に悪い事をする機会を与えないことは、本当に法と衆生に責任を持つ理性的な「真」であると思います。

 私たちは自分なりの理解を大法の上に置く時、外を向くことになり、自分の観念にふさわしくない他人を認めず、責めることは、まさに大法と師父を尊敬していないことです。師父に対して心から敬わなければ、同修の良い所が見えず、相手の立場に立って理解することはできません。他人を先に考える大法の原則を守ることができず、全体に影響し、効率よく衆生を救い済度することができなくなるのです。

 ここまで書いて、私は最近話した同修が、修煉・家庭・仕事とのバランスをどう上手く取るかについて悩んでいることを思い出しました。仕事に傾いてしまったり、家庭内の事情に纏(まと)われたり、三つのことをより良く行えなかったりすることも、自分が理解した真・善・忍を大法の上に置いていないからだと思います。仕事で常人に褒めてもらいたい、家庭でも家族に褒めてもらいたいと思ったりすることも、多くの名・利・情が混じり込んでいます。大切な時間を常人のことに費やし、法を学ぶ時間も削られ、煉功する体力もなくなり、正念を発する時も、うとうとしてしまい、真相を伝えることもできず、同修に指摘された時もまだ自覚せず、内に向かって探さなければ、時間に流されて、だんだん安逸の中で麻痺し、法から離れてしまうのです。

 法の中であと先を考えないことは、私も同じような経験がありました。真相を伝え衆生を救い済度することを根本にするのか、それとも常人の中の名・利・情の中の事情を処理するのかは、私たちが内に向けて探さなければならず、基準を正して改め、調整しなくてはなりません。

 私は家庭・仕事・大法のことをどれも大切にして、1日24時間をそれぞれ分けて、家事と大法のことや、仕事と大法のことが競合した時に大法のことを主にし、あとで家庭のことをしています。大法のことに影響されないことを保障した上で、もし家事や仕事が完成できなかった場合、修煉をしていない家族や同僚と相談し、手伝ってもらうようにしています。最初はゆっくりしかできず、急がされることもありましたが、三つのことも少しずつ協調できれば、道はだんだんと広がっていくのです。どの責任もきちんと背負い、誰をも満足させるのです。このようなことができるのは、怠けずに法を学び続けることと、内に向けて探すことです。本当に法の中で理性的に昇華し、勇気を持って実行する決意と、法の中で生まれた揺るぎない正念が根本の保障なのです。

 とにかく大法は根本的な基準であり、法と衆生を救い済度することを最優先にして、師父に随って真相を伝え、揺るぎない正念があれば、動じることなく対応できるのです。どんな環境においても、どんな条件の中でも三つのことをきちんとやり続けることが最も重要であり、「法は金剛不壊のもの」なのです。

 個人の理解ですので、どうか慈悲なるご指摘をお願いします。

 2009年11月30日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/11/28/213355.html

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