■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/11/30/mh013997.html 



夫による魔難の中で修煉し、大法の真相が人々を目覚めさせる(一)

文/貴州省の大法弟子 蓮芝

(明慧日本)偉大な師父、こんにちは。同修の皆さん、こんにちは。

 前世に夫と何かの悪縁があったのか、彼にたくさんの借りがあるかもしれません。私の現世は、一生ずっと夫に恩返しをしているようです。若い時、同情により(彼は継母に育てられた。ほとんどの継母は継子に優しくなく、残忍な継母もいると聞いていた)、私は両親、兄弟、同僚、友人たちの反対を拒んで、彼と結婚しました。二人の間に顔立ちのよさ、家庭状況、教育レベルの面でギャップが大きすぎて、周りの誰もが二人の結婚に驚いて、一時期、私の勤め先で特大ニュースになりました。私は精神面でも経済面でも彼にたくさん尽くして、優しくしてくれることを望みました。

 一、苦しい人生が修煉の縁となる

 結婚後、まったく私の想像のとおりになっていません。彼は別人になったように、家の世話もせず、子供の世話もせず、またよく酔い潰れて帰ってきて、私にけんかを売って、むやみに私を罵ります。私は小さい時からけんかしたことがなくて、人を罵ることはなおさらできません。最初、彼とコミュニケーションを取りたかったのですが、彼は全然協力してくれませんでした。私はどうしたらいいか分からなくなって、とうとう彼と口をきかなくなりました。それで彼は私を罵って、子供を殴ったりしました。自分の家庭がこんなふうになって、本当に悔やんでいました。人に笑われないように、私はこれらの事を心の中に抑えて、ついに病気に罹りました。時に死んだほうがいいと思いますが、子供を心配します。離婚したいのですが、周りに笑われたら恥ずかしいと思います。子供が大きくなったら、私はどこかの静かなお寺で余生を送ろうとも思いました。その時、私の体調はとても悪くて、心は深い絶望に陥りました。

 人生が光の見えないどん底に陥った時、ある同修が『転法輪』、『精進要旨』と師父の各地での説法を持ってきてくれました。読んだら私はすべてが分かりました。これは私が一生をかけて探すべきものだと分かりました。どんな苦難に遭っても師父について最後まで修煉する、とその時から私は決心した。

 修煉して1ヶ月も経たないうちに、私の病気は全部治って、全身が軽くなり、性格も朗らかになりました。夫に対する不満がなくなって、人生観が変わりました。本当に感無量だったです。師父は『転法輪』で次のようにおっしゃいました。「多くの人は長年の煉功を経てきていますが、煉功したことのない人もいます。ところが、彼の一生の中に真理や、人生の真諦に対する追求があり、思索があります。そんな人はいったんわれわれの法輪大法を学んだら、人生の中で知りたくても答えが得られなかったたくさんの問題がたちどころに分かるようになります。思想の昇華に伴って彼は非常に感激することになります。これは間違いのないところです。真に修煉する人は、大法の重みを知っているので、それを大切にすることが分かるに違いありません」

 二、夫が私の心性を向上させてくれた

 私の修煉の中で、心性の向上の機会はほとんど夫が作った魔難だったのです。私は修煉して健康になって、性格もよくなったのを知っても、彼は私の修煉を阻止しようとしました。時に大法に対して失礼な発言をし、時に大法の書籍を引き裂くと脅したりします。しかし、彼はどんな手段を使っても、私は心性をしっかり守って、争ったり、けんかをしたり、怒ったりしませんでした。彼が冷静になってから道理を教えて、善をもって彼に接し、自分の良くできていないところを探していました。

 ある日、私は息子を連れて法を学んで帰って来た時、(当時息子は11歳で、夏休み中だった)、息子は喉が渇いたと言って、私はスイカを切って、お皿に乗せて茶卓に置きました。息子は1切りを取って食べようとして、私は、先にお父さんに1切れを持って行って、と息子に言いました。息子は1切れを持って、お父さん、スイカをどうぞと言いました。思いがけないことに、夫は「パン」と息子の手に持ったスイカを打ち落として、茶卓を蹴っ飛ばして、たくさんの汚い言葉を口にしました。息子はとてもびっくりして怖くなりました。私は息子にお水を飲ませて、寝かせました。私は少しも怒っておらず、倒れた茶卓を起こして、割れた皿とスイカを片付けました。これはきっと私に難関を突破させる試煉だと思いました。すぐ師父の「あなたが家に帰ってくると、奥様やご主人がいきなりすごい剣幕で罵声を浴びせてくるかも知れません。それに耐え切ることができれば、この日の煉功を無駄にしなかったことになります。(『転法輪』)」を思い出しました。それから温和な態度で夫に「仕事で疲れたでしょう、寝ましょう」と言いました。彼は何も言っていませんが、顔に少し申し訳ない表情をしました。翌朝、彼は昨晩怒ったことを謝ってくれました。これで対立を解消して、私も心性を高めました。修煉する前だったら、私は彼と言い争うことをしないけれど、きっと2ヶ月ほど彼と口をきかなかったでしょう。

 修煉してから、毎日、家事をすませた後、私はすべての時間を使って法を学んで、『転法輪』を書き写し、着実に修煉していました。ですから、その期間は夫が作った魔難がどれほど大きくても、私はすべて乗り越えられました。また私はいつも自分の不足を探して、内に向けて修煉して、できる限り彼と彼の家族に優しくして、彼に真に大法の素晴らしさを感じさせていました。彼の態度もとうとう反対から応援に変わりました。各地から1000人以上の同修が集まって、大講堂で師父の海外での説法の映像を見た時、彼は大量にお茶を作って会場に持って行ってくれたこともあります。

 三、百の苦が一斉に降りかかる

 私が修煉して1年経ったところ、迫害が始まりました。夫は、「私が修煉を止めろと言ってもあなたはまったく聞かないが、今、国が言っているのでどうする」と言いました。私は彼に真相を教え、最後まで修煉をやり遂げると言いました。「焼身自殺」がテレビで放送された時、私はちょうど妹の家にいて、夫が電話をかけてきて聞きました。私は「あれは嘘です。自殺する行為は殺生なので罪になります。修煉者の大きな過ちとなる、と師父が言われました。師父の言うとおりにしないと、法輪功の人ではなくなります」と夫に話しました。2003年、私は真相を伝えたため、不法に3年間拘禁されました。この3年の間、いかなる家事もできず、彼も多くの辛い思いをしました。よくけんかをしましたが、彼は私を愛していると言っていました。面会の時、あるいは私に電話をかける時、あなたが早く帰って来ないと私は死んでしまうよ、とよく言います。毎回私は、息子のために頑張ってと言いました。息子は彼の唯一の精神の支えとなりました。この3年の間、よく彼を助けてくれた父と叔父が病気で亡くなり、彼の弟も離婚して、この一連の異変は彼をとても苦ませ、すべては私が修煉したせいだと、彼は思っていました。

 (続く)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 2009年11月30日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/11/19/211864.html

明慧ネット:jp.minghui.org