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自分をしっかり修め、子供弟子をよく導こう


文/中国四川省の大法弟子

(明慧日本)私は2000年に妊娠しました。自分が妊娠したと分かったときから、私は大法の音楽と師父の説法録音を胎児に聞かせました。彼女は法を得るためにきた生命であり、決して普通の子供ではないと信じていました。彼女はまずは子供弟子で、その次に、私の子供です。ですので、私は彼女がまだ胎児の時から、何もかも大法をもって彼女と交流し、要求し、常人の子供と同じように対処しませんでした。

 子供が生まれてから、時には具合が悪いときもありましたが、私は彼女に師父の説法を聞かせるか、あるいは『普度』、『済世』を聞かせると、普段はすぐに良くなりました。彼女は小さい時から、薬を飲んだことがありません。もちろん、はじめは修煉しない家族からの圧力が大きかったのです。その後、家族も大法の威力を目にしたため、何も言わなくなりました。

  その後、発正念という宝ものを師父から教えていただき、私は同時に正念を発しました。一度、彼女の顔と腹、手を除く全身に突然赤い斑点がいっぱい出ました。皮膚は白いところが見えないほどでした。私は急いで、彼女のために正念を発しました。しかし、2日目にも好転せず、また高熱が出始めました。我が家では私と子供だけが修煉していたため、修煉しない家族はそのわけを知らず、病院へ送ろうとしました。私は公衆電話で数人の同修に発正念をお願いしました。3日目に熱は下がり、赤い斑点も色が薄くなりました。5日目、私の母が見舞いにきましたが、不思議に、娘の皮膚には赤い斑点の跡はまったく残っておらず、何もなかったようでした。もし、常人であれば、何日も病気になっていて、病気が治っても、皮膚の跡は長い時間経たないと消えません。

 その後、子供が話せるようになると、「法輪大法はすばらしい」、「真・善・忍はすばらしい」と教えました。2歳から『洪吟』を暗記させました。そろそろ3歳になるころに幼稚園に通わせ始め、その時から修煉において、重要な内容を教え始めました。またその要求のとおり行うようにと言いました。例えば、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない、真・善・忍、内に向かって探す、不二法門、良し悪しは大法をもって量るなどなどでした。彼女はすべて理解できている様子でした。また彼女に『地球の物語』、『悠遊字在』などのアニメを見せ、寝る前には『修煉の物語』、『神話物語』、『古代神伝文化の物語』を彼女に聞かせました。また『西遊記』、『人形の奇遇』など、邪党文化のない、修煉に有益な一般的な物語も読ませました。ほかの本は絶対に読ませませんでした。

 また、彼女に発正念と5式の動作を教えました。明慧ネットの新しい内容、正見ネットの新しい物語も選択して彼女に読んであげました。その目的は、彼女の頭に良いものを多く入れ、同時に彼女の正念を強くさせるためでした。

 現在、子供は小学生です。はじめは1週間に1回動功をやるように言いました。もちろん、大人のように厳しく要求していません。時間も短いです。しかし、毎晩寝る前に必ず『洪吟』の詩を暗記させています。お昼12時と午後6時の正念はなるべく発しています。冬休み、夏休みには師父の説法ビデオを見せ、『転法輪』を学ばせました。しかし、学ぶ時間はあまり長くなく、毎日やっているわけでもありません。今後、各方面において、もっと強化すべきです。

 月曜日になると、学校では中共の邪な旗を揚げますが、彼女はそれに対して自分で発正念をしています。先生が教科書の邪な内容を教えると彼女はその良し悪しが判別でき、正念を発します。たまに、体の調子がすぐれないと、正念を発し、学法し、内に向かって探し、しばらくすると良くなるそうです。家族も現在は慣れています。私がたまに具合が悪くなると、彼女は私のために、正念を発してくれます。家族の人が病気になって、風邪をひいたというと、彼女はそっと私に言います。「風邪ではないよ、業力だよ」

 子供の考えには、基本的に常人の良くない観念がありません。生活上、私も彼女に修煉者として要求しているため、簡単で、便利です。しかし、彼女はなんといっても子供だから、常に可愛がっています。小さいときから私は自分で彼女を育てていますが、わりに楽であって、それはすべて大法がもたらした福です。さもなければ、病気になることだけでも、とても気を使わないといけません。加えて、教育上の問題はもっと面倒です。

 中国大陸の小学校には、当然海外のように明慧学校のような良い環境はありません。しかし、みなそれぞれ異なる縁があるので、みな海外で修煉することは不可能です。中国大陸にいる以上、できる限り、私たちの環境を変え、環境を良い方向へ変えるべきです。少なくとも、子供弟子の家庭環境は、私たち大人の同修がなるべくより良い環境、きれいな環境を作ってあげなければなりません。彼らがもっと良い、正しい影響を受け、汚染されることが少ないようにし、さらに重要なのは汚染に抵抗できるようにさせることです。

 私は子供弟子の修煉状態の良し悪しは私たち、大人の同修ととても関係していると思います。子供弟子はまだ小さいため、生活上の自立能力、是非を弁別する能力、自我を制御する能力がわりに弱く、周りからの影響を受けやすいのです。特に、中国大陸の場合はなおさらです。私たちは毎日ある程度の時間を費やして、生活上、勉強において、彼らに関心を払い、さらに毎日修煉について促し、助けてあげるべきです。他の方面では柔軟に対応しても問題ありません。しかし、大法に対する堅い信念と正念は、なるべく彼らが随時、どこでも持つようにさせないといけません。それでこそ、やっとよく行うことができます。特に、彼らの思想観念の浄化を重んじ、彼らがなるべく常人の良くないものを頭に入れないように、大法の勉強に有利な知識を多く入れ、大法の内容を多く多く入れるようにさせるべきです。自然に任せればよいと思ってはいけません。彼らの生活を監督しないといけません。

  私はこのような、自然に任せている同修を知っています。子供がとても小さいときはまだよく、子供はとても素晴らしかったのです。天目が開いて、常に師父に会うことができ、普段あまり管理しなくても問題なかったのです。しかし、小学校に入って、ちょうどもっと多くの時間を使って面倒を見なければいけないときに、同修はあまり気を使わなかったのです。後になって、だんだん良くない方向へいき、毎日ゲームで遊び、成績もますます悪くなり、学法と煉功はさらにやろうとしません。注意すると怒り、まったく親の話を聞こうとしません。私はその同修に必ず、大法の理をもって彼を教育し、助けてあげると良くなると伝えました。

  しかし同修は、「家庭ごとに私たちに試練を与える人がいる。誰もがみな精進することは不可能だ。子供が大きくなったから管理できない。なす方法もない」と答えました。その後、この子供は成績があまりにも悪くなり、中途退学しました。現在、毎日家でゲームを遊んでおり、インターネットで遊んだりしていて、ほとんど修煉していません。同修はなすすべがなく、毎日とても忙しくて子供を管理する時間がない、と言っています。それに、子供も言うことを聞かないし、彼が大きくなったら、自分で修煉するか否かを決めればよい、自然に任せよう、と言っています。私は心が重くなりました。もし、同修がもっと時間を費やして、子供を助けてあげれば、子供は必ず良くなるはずです。なんと言っても、子供は法を得るために来たのですから。

  大人の同修たちよ、私たちは「無私無我、他人を先に、自分を後にする」ように修煉し、慈悲な人を目指しています。ただ自分が精進し、修煉するのに便利であれば、子供は大きくなったら、修煉するかいなかを自分で決めさせ、大きくなったらまた修煉すればよい、いま修煉しなくても仕方ない、と思ってはいけません。いま私たち大人はみな忙しいのです。会社に行って仕事をしないといけないし、三つのことをしっかりやらないといけません。それに家事もあり、また常人との交際もあり、自分の修煉時間も足りないのに、どこに子供を管理する精力かあるか、と思う同修もいます。

  子供を管理することはとても面倒で、とても苦労をしないといけないし、とても疲れる、とても時間の無駄になる、他人に管理を依頼したほうがましだ、と思う同修もいます。私は個人的にこれらの考えは、法に基づいておらず、面倒を恐れ、自分の時間を無駄にしたくないと思うのは安逸の心が作用していて、責任感と使命感が足りず、根本的にいうと私(し)の心であると思います。たとえ常人であっても、子供に対しては責任をもち、小さいときから彼らをしっかり教育すべきではありませんか? 教養とは、先に「教」、教えであり、後に「養」、育てることです。さもないと、ペットを飼うのと大きな区別がないのではないでしょうか。しっかりやらないと、子供を誤らせています。

  もし、みな子供が大きくなってから管理するとなると、時間はまだ間に合うでしょうか? 彼らに良くない観念が多くできあがると、さらに多くの時間を費やさないといけないのではないでしょうか? 毎日掃除している部屋と1週間に1回掃除している部屋は、どちらが時間と精力が少なくかかるでしょうか? また毎日きれいに保持できるでしょうか? 私たちが生活している人間世界はそもそも各種の汚染にあふれていますから、毎日大法のきれいな水で私たちを洗うべきではないでしょうか? 必ずそうする必要があります! 子供弟子も同じです。 もちろん、毎日彼らを囲んで、何もさせないというわけではありません。それはまたもう一つの極端に走ったことになります。教訓は多いのです。ここで私は一々述べません。

 肝心なのは、子供弟子を常人に任せて育てると、彼らに害を与えるということです。結果として、後になって彼らの教育に大人が疲れるのはいうまでもなく、彼らの生命の永遠にも影響してしまい、合格した親になれません。なぜなら、私たちはみな法を得た人だからです。もし真に子供のために考えるなら、彼らを修煉上、助けてあげるべきであって、彼らに常人的な心地よい生活だけを与えてはいけません。私たちは親の情に執着してはおらず、出発点を正しくしないといけません。しかし、だからといって、管理すべきことも管理しなくなってはいけません。私は多くの同修が、自分はとても真剣に修煉しているのに、子供の修煉問題においては、人間の観念がとても多く、子供を完全に普通の子供扱いをしているのを目にします。

 子供は一枚の白紙ですので、私たちが彼らにいかに絵を描くかを教えることによって、描かれた絵は異なります。頭に何かを入れたら、そのものになるのではないでしょうか? 私たち大人の同修は彼らの頭に何を入れてあげるべきでしょうか?

 最も肝心なのは、私たちがどんなことをするにしても、神の正念を持ち、常に人間の私(し)のためという観念を捨て、あるいはまた極端に走らないことです。私はこんな同修も知っています。子供が7歳をすぎたのに、小学校へ通わせません。どうしてでしょうか? 中国大陸では6歳になると小学校へ入学します。その子供は昨年もう6歳でしたが、大人の同修は法が人間世界を正す時間がそろそろ到来するし、大陸の小学校もあまりよくないので、子供弟子を入学させず、法が人間世界を正す時期を待つようにさせました。後になって、自分が間違ったと認識できましたが、子供は事前に入学の申請をしていなかったため、入学できませんでした。いまは来年まで待つしかありません。このようなことを常人はもちろん理解できないはずです。

 同修たちよ、私たちは理知を失ってはなりません。そうしないと法に基づいていないことになります。まさに大陸で修煉する人はみな何もしないで、環境に汚染されないように毎日専業修煉すべきでしょうか? 大人であれ、子供であれ、修煉者であれば、必ず泥から出てきれいな蓮の花になるべきではないでしょうか。さらに私たちは一般的な常人ではありません。常人は「適者生存」ですが、私たちは自分で環境を変えるべきであり、まさに環境が私たちを変えるようになってはいけません。

 もちろん、様々なケースがあり、また他にもいろいろありますが、私たちはよく考えるべきではないでしょうか? 私たちのこのような行動は彼らに申し訳ないことになるのではないでしょうか? 師父の言い付けに申し訳ないのではないでしょうか? 大法弟子は各方面において、なるべく最も素晴らしく行うべきではないでしょうか。私たちに時間がなく、私たちに能力がないわけではく、私たちはただ自分の修煉に対する真剣さで、子供弟子の修煉を扱うことができず、私たちが無私の状態にまだ至ってないからです。

 私は個人的に、大人の同修は必ず自分の子供をしっかり導き、またもっと多くの時間を費やして、修煉について、子供を促すべきであると思います。子供を完全に常人に任せてはいけません。いいものを食べさせ、いい服を着せ、勉強がよくできればよい、と思うことは間違っているのではないでしょうか? 大法が広く伝えられている時期に出会えた生命は、みな法を得るために来ました。彼らは人間になるために来たのではありません。私たちは神の道を歩んでいる修煉者です。どんなことにもぶつかる可能性があり、またそれをうまく対処することもできます。共に努力しましょう! 私たちの子供弟子と共に精進しましょう!

 以上は個人のわずかな悟りであり、すべてが正しいとはいえません。ただ同修の皆さんの参考になり、少しでも損失と遺憾を減らせることを望みます。

 2009年12月2日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/7/4/203921.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2009/8/10/109919p.html

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