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法を学んだことにより悟ったこと

(明慧日本)今日、『転法輪』の中の「以上は、煉功者が自分自身に正しく対処できないことによって、災厄を引き起こしたこと、言い換えれば、心の歪みによって災厄を招いたことについてお話ししました」の段落を暗記したとき、突然悟りました。自分が経験した魔難や生死の病業は、自分の心が歪んでいたために招いた関だったのではないでしょうか?

  最近、私は同修Aさんと一緒に活動をしていたとき、街のあちこちの至る所で紙銭を焼いた痕跡を見ました。その時はちょうど陰暦の15日で、人々の言う「鬼扉が開き」、どの家も亡くなった先祖や親族のために紙銭を焼く習慣があります。Aさんは私に「紙銭を焼きましたか」と聞きました。私は「焼いていません。私たち煉功者は紙銭を焼きますか? 法輪功を学んでからこの事をしたことがありません」と話しました。

  家に帰ってから私はずっと、Aさんが私に紙銭を焼くことを聞いてきたことについて考えました。Aさんは師父の講習会に参加した古い弟子で、修煉も精進しています。そんな彼がまさか、煉功者は霊のために紙銭を焼かないという、この初心者でも分かる道理を知らないのでしょうか? もしかするとAさんはもっと高い次元の法理を悟っているのでしょうか? 風雨のような中で修煉を歩んできて今日まで至ったのは、容易なことではありません。私達は最大限に常人の状態に符合するからといって、紙銭を焼いていいのでしょうか? 私はずっとAさんを尊敬していました。Aさんは講習会に参加して、心性が高く、事を行うときは落ち着いています。だから、この問題でも、私はAさんを認めてしまいました。法を師にするのではなく、人を模範にしたのです。

  そのとき、ちょうど修煉しない夫は熱が出て、全身の骨が痛いと叫びました。私は何も考えずに「あなたの亡くなった両親に紙銭を焼いたから、きっと彼らがあなたにお金を求めているのです……」と言いました。この正しくない、煉功者の基準に符合しない言動が、巨大な魔難を招きました。

  翌日私は熱が出て、ベッドから起きることができませんでした。全身の骨が支えられなくなったかのように痛くなりました。頭はのこぎりで切り、釘を打っているかのように激しく痛み、死ぬほどの苦痛が1秒1秒私を苦しめました。

  私の脳はすでにぼんやりしましたが、内心でははっきりと分かっていました。私は倒れてはいけない、私は必ず煉功者の強い意志を持って乗り越えなければならない、修煉者の正念で弟子が難関を乗り越えられるように、と師父に加護を求めました。さもなければ、自分も一部の病業の難に陥った同修のように、再び起きることなく、あるいは邪悪に人身を奪われてしまいます。邪悪な黒い手が私の修煉の隙をつかんで、私を死地に陥れようとしていましたが、私は決して邪悪の迫害を認めず、許しませんでした。

 ぼんやりした中で私は絶えず師父の説法の録音を聞き、頭が少しはっきりすると、正法の口訣を念じました。夜、なんとか数十分の煉功をしましたが、特に法輪を抱くところは、数回に分けてやっと終えました。

  次の日の夜が明けて、痛みは軽くなりました。私は痛みが軽くなっているうちにと思い、資料配布に出かけました。師父の慈悲なるご加護のもとで、私の体は1日1日と良くなり、ついに生死の関を乗り越えることができました。私は皮を一層脱いだようでした。師父は私の良くないものをたくさん取り除いてくださり、私は多くの法理を悟りました。さらに修煉の厳粛さが分かり、同時に、自分に対してより深く認識することができました。

  実は、私は大きな難関は割りとよく乗り越えることができますが、小さな問題ではしっかり修煉できず、よく乗り越えることができないのです。特に日常生活の中で、小さなトラブル、面倒なこと、心性の摩擦に直面したとき、正念を軽視しがちで、考えや一念を修めることができません。それによって法理を離れる言動が現れるのす。

  師父は説法の中で「大志を懐きながら細かいことに配慮し」(『精進要旨・聖者』)とおっしゃいました。私はこう理解しています。修煉者として大きい、小さいに関係なく、何かに(普段の考えや一念を含めて)遭遇したときは、煉功者の基準、法の要求に照らさなければなりません。少しずつ着実に修めて初めて、頑丈な基礎を築くことができ、法を実証することができ、衆生を救い済度する中で一歩一歩をしっかり歩むことができ、先史の誓約を果たすことができます。

  見た目では気にならない小さい事、小さな面倒でも、皆修煉の要素を含んでいます。もし、これらの小さなことを軽視すれば、着実に修煉することと心性を高める機会を放棄することになります。

  ここ10年の正法の中で、いろいろな難関を経て今日まで来て、私は一つの理を悟りました。毎回関をうまく乗り越えることができるときは、すべて師に対して法に対して、金剛不動の盤石のようにゆるぎなく「信じる」ことで乗り越えてきました。毎回ことがうまくいかないときは、すべて正念が足りず、後天の意識、不安定な要素、外来の信息などに邪魔され、また偽りの現象に戸惑ったときです。それによって、本当の自分が宇宙の真理に対する正しい認識を否定していたのでした。

  2009年12月2日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/1/213600.html

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