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法を実証する中で人心を修めて捨て去る(二)


文/中国の大法弟子

(明慧日本) 

 法を実証する中で、名・利・情をなくす

 この迷いの世の中で、知らず知らずのうちに学法と煉功を怠けてしまいがちです。私はどの職場に行っても、身を持って法を実証し、人々に大法の素晴らしさを教え、大法弟子への共産党の迫害を暴露していますが、大法弟子は周知のようにいったん学法を怠ると、自分を法の中に溶け込ませることができず、常人の観念がよく現れ、邪悪に隙に乗じられることになります。その現れは、トラブルが頻繁に起こり、時間がなくなることなどです。

 名・利・情は知らず知らずのうちに生じてきます。私はコックの仕事をしており、普段だれかに自分の料理がおいしいと言われたら、表情は変わらなくても心は喜んでしまいます。しかし、この歓喜心は人としての「謙虚さ」に隠されて、さらに人に心性が高い、心が動じていないと思わせるのです。一方、自分の料理がおいしくないと言われたら、とても辛くていろいろと理由をつけて弁解したくなります。これはまさに虚栄心ではありませんか。自分の友人のためにいくらお金を使っても惜しくはありませんが、関係ない人に少しでも費やすと心が痛むのです。私はまさに、この日常生活における小さなことで心性の基準がどんどん下がり、人心がどんどん重くなり、自分の修煉もあまり進まなくなりました。常人の言うように「褒められたら嬉しく、叱られたら怒り」ました。自分はいつも外部の環境に左右されてきました。

 しかし、法を暗記して学めば、すぐに自分の名利心と執着心が見えるようになります。この心は修煉者にとって大変恥かしいことなのに、神のところではどうだろう、と自省して、私はたいへん悔みました。大法弟子としてこのようなことを重んじてどうしますか? 短い人生の中に、私はこの執着心を抱えていていいのでしょうか? 本当に人間社会の汚さが分かり、私はそれをなくしていくべきだと思いました。それは自分のものではなく、大法のものでもないからです。

 情から派生した執着心はとても多く、常人は情のために生きていますが、修煉者にとってまさに、この情はなくすべきものです。この中で目立っているのは、男性同修の色欲の心が強いことです。きれいな女性とすれ違うと、思わず見つめてしまいます。このようなことを見て私はすぐに指摘したくなりますが、メンツを考慮して止めました。しかし、このようなことにたくさん直面して、とても苦しいのです。

 ある日、私は自分自身も反省して、なぜこのようなことを私に見せるのか、なぜ私も苦しく思うのか、なぜ自分も気が重くなるのかと考えました。2人が対立した時、なぜこの事を私に見せるのかと考えるべきだち、師父は何度も注意されました。私もこのような心を抱えているのではないか、私も常人と同じではないかと猛省しました。常人に自分のこのような行動を見られたらどう思われますか。私は大法弟子のイメージを損なっていることになるのではありませんか。

 ここで、私はこのような心を抱えている同修に、この汚い心をなくすように勧めたいのです。この行為は神に軽蔑されるのみならず、道徳が高い常人にも及びません。特に、法を正す時期に当たって、大法が無実の罪を着せられて、人々が悪党に騙されている現在、我々は法を実証し、大法弟子の純正さ、清らかさ、大法の素晴らしさを人々に見せるべきです。

 (続く)

  2009年12月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/25/213153.html

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