■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/12/03/mh045618.html 



修煉には強靭さが必要(三)

文/山東省の大法弟子・一蓮

(明慧日本)

  協調の中で心性を修める

 師父の説法で、家庭資料センターが中国各地で花を咲かせているように増えていることを知ってから、私たちは小型資料センターを設立しました。師父のご加護のもとで、分からないところから熟知するようになり、4年の歳月を経て少しずつ経験を積みました。魔難の中で心を修め、挫折を繰り返して成熟しました。この過程で数々の困難を経験しました。

 初めのころ、技術上のことは他の地域の同修に教えてもらい、インクなどの消耗品を何度も買ってもらいました。後になって不便だと感じ、自分たちで機材や消耗品を買い、独立して運営することになりました。毎回順調にいき、買ってきた機材や消耗品は機械に合うタイプでした。私たちが法理に従って考え、衆生を救い済度するのであれば、すべてのことは師父が私たちのために順調に按排してくださると感じました。奇跡はいつも私たちの目の前に現れ、私たちの自信は増し、困難の中で忍耐強く頑張りぬくことができました。

 資料センターが独立してからは、私たち数人の同修が協力し合って運営しています。私たちは空いている時間を使って三つのことをしているので、忙しいのは当たり前です。しかし、私たちは必ず学法をするのです。学法することで大法のことがしっかりできるのです。

 私たちは力を尽くして同修たちに資料を供給しました。みんなしっかりと協力し合いました。仕事以外に、私は基本的に資料センターに全力投球しました。みんなは修煉している人なので、中には協調の中で自分に与えられた仕事を忘れたり、必要のないことをしたりする同修がいて、普段は忘れない同修も忘れることがありました。このことは全体で真相を伝えることに影響を与えました。2人の同修はいつもこの状態が続き、繰り返し注意しても変わらないので、2人がこれらのことに遭うと、私はとても焦り不満に思っていました。その後、内へ向かって探す必要があると感じました。

 師父は『転法輪』の中でおっしゃいました。「そうすれば、何か問題が突然現われた時に、それに正しく対処することができます。平素から慈悲の心を保っていれば、問題が突然現われても、たいてい一息おいて考える余裕があります」

 同修が問題を繰り返し起こしたのは、私のどの心がいけないからなのかと深く考えました。私は修煉する前に、嫉妬心と弱者を助けて不正と戦う正義感がとても強かったのです。修煉してからそれらの心は消えましたが、闘争心がまだ心の奥に潜んでいました。不平を言うことの背後に不満に思う気持ちがあり、結局私心です。もっと深く考えると、自分を実証したい気持ちがありました。「みんな同じことをしているのに、私は忘れないのに、皆はなぜいつも忘れるのか?」といつも思っていました。自分の心理状態が落ち着いたあと、何度も同修と交流しました。同修は「実際はみな恐怖心があるので、大法のことに対する努力が足りません」と初めて口にしました。

 自分の執着心が表に現れた後、同修は目立って精進し始めました。自ら進んで仕事をし、自分が協調することに対して努力し始めました。みんな法に基づいて自分の意見を述べることができました。少人数の交流会の時、同修は「常人の事と大法の事が対立するとき、大法のことを先に置くべきです」と言いました。

 私たちは常人社会に身を置いて修煉しているので、長く協調し合い資料を作る中で、トラブルは避け難いことです。ある同修はせっかちで短気で、言うことが分かってもらえないとき、一時的に自分の要求に達しないときは、怒りだし、さらに怒鳴るときもあります。そのとき、私は師父の法を思い出しました。「そうすれば、何か問題が突然現われた時に、それに正しく対処することができます。平素から慈悲の心を保っていれば、問題が突然現われても、たいてい一息おいて考える余裕があります。心の中でいつも人とあれこれ争うことばかり考えているのであれば、問題が起きると、必ず相手と真っ向からやり合うに違いありません」(『転法輪』)

 今まで学法して心を修め、師父の慈悲なるご加護のもとで、今私たちの小さな資料センターは同修を邪悪から救い、資料を提供し、三つのことをするにしても、私たちは心を合わせて協力し合っています。オリンピック開催後、多くの資料センターが邪悪に破壊されました。私たちの同修も連行され、人手不足になりました。私たちは連行された同修の分も仕事をし、『明慧週刊』などを作りました。ある同修は、自ら進んで家庭資料センターを作り、技術上のことや消耗品の購入は自分たちでできることを尽くしました。みんなが協力し合いました。なぜなら、大法弟子は一つの家族であり、いずれも私たちのことであり、私たちに責任があるからです。

 しかし、師父の正法の過程の基準にはまだまだ足りません。さらに法の中に溶け込んで修煉すべきです。

  師父に感謝します。同修たちに感謝します。

  合掌。

 (完)

 (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年12月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/24/212506.html

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