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神の念で同修と接するべきである


文/海外の大法弟子

(明慧日本)私は修煉の道を歩み始めてから今日まで、すでに5、6年も経ちましたが、普段、同修間でトラブルが起きた時、また自分が同修と意見が違った時、不平不満に感じており、まさに師父が『ヨーロッパ法会へ』の中で説法された通りです。「一部の学習者は修煉において、いつも外に向けて探しており、外に向けて求めており、外に向けて見ており、誰それが自分に優しくなかったとか、誰それの言ったことが気に障ったとか、誰それが非常に常人的だとか、誰それがいつも自分とトラブルを起こしているとか、自分の意見がいつも採用されないとか、それを理由に大法弟子が法を実証することをまったくしなくなり、ひいては怒った勢いで修煉をやめてしまいました」自分はまだそれで修煉を放棄してはいなかったのですが、その不平不満の心がいつも「彼(彼女)はどうして法の通りに行わないのですか? 彼(彼女)はそれでも修煉者ですか?」と愚痴を言っています。

  昨年9月頃、明慧ネットでたくさんの同修が書いた法を暗唱する文章を読んだ後、自分も深く感動しました。「多くの年配の同修が『転法輪』を暗唱できたのに、まだこんなに若い自分がどうして暗唱できないのでしょうか?」そこで必ず法を暗唱すると決心しました。実は、以前にも何回か法を暗唱しようと思い、最初から暗唱し始めたことがありますが、最後まで続けられませんでした。今回は1日に少ししか暗唱できなくても、必ず最後まで続けようと決心しました。

  私は比較的容易な方法を取りました。すなわち、1段落、1段落ごとに暗唱し、1段落を暗唱できれば、そこを繰り返さないで、次の段落を暗唱し始めます。およそ半年で『転法輪』を全部暗唱できました。法を暗唱している過程で、法の中からより多くの法理を悟ることができ、しかも、自分の執着心も比較的容易に放棄できるようになりました。

  法を全部暗唱した後のある日、私は突然もっと寛容な心で同修と接することができ、心の中で同修に対しての偏見もなくなり、知らず知らずのうちに師父の教えを思い出しました。「ではなぜ、修煉者のためならしてあげてもいいのでしょうか? 修煉する人こそ最も貴重なのであり、その人が修煉しようと思うこと、そこで生じた一念こそ、なによりも貴重なのです」「皆さんもお聞きになったことがあるだろうと思いますが、佛教には、『佛性がひとたび現われると、十方世界を震わす』という言葉があります」「修煉したい、という人の願望がひとたび現われると、それを見た覚者たちはこの上なく貴重だと思います」(『転法輪』 )

  師父のこの説法から、神が人間を量る基準と人間が人間を量る基準は違っていると、私は悟りました。同修の行いが修煉者にふさわしくないとか、常人の中のよい人にも及ばないとか、同修のことを思ったりする同修がいるようですが、それは、私達が神の人間を量る基準である、この修煉したい心を最も貴重なものと見なすこと、そして神の人間を測る基準で同修と接することを忘れてしまっていたのです。一人の常人は常人の社会でどんなによい人だと思われていても、もしその人が修煉しない、修煉する心がなければ、覚者から見ればその人はやはり常人です。しかし、もう一人の人は常人の社会でそれほどよい人と思われていなくても、常人の量る基準で量ったらよい人ではなくても、もしこの人が修煉したいという一念が生じれば、覚者から見ると、この人はその修煉しない人よりずっとよい人になります。もし、私達が皆このような神の念で身の回りの同修のことを見ることができれば、同修達はみな貴重だと思うようなり、同修に対して、あれやこれや不平不満もなくなり、同修間の隔たりもなくなり、そして協調がうまく取れるようになります。

  実は、真面目に『転法輪』を勉強すれば、師父が法の中で、何回も「貴重」という言葉を使われていることが分かります。以前、私は、ただ師父は慈悲深くて、私達のことをこんなに貴重だと思ってくださっていると感謝するだけで、同修同士でもお互いにこのような神の念で接すべきであることまでは悟れませんでした。

  普段、同修に会うと、お互いに何も話していなくても、心の中では違う同修に対して、違う観念を持っています。「この同修は私と意気投合して私は彼(彼女)と話しをするのが好きだ。あの同修は私と意見が合わないから、彼(彼女)とあまり話したくない……」同修に対してあれやこれや変な偏見を持つ時、実はこれらはみな自分の執着心です。もし、自分の目からすべての学習者が皆もっとも貴重だと見ることができれば、私達は本当に一体となったと言えます。

  私個人の現段階の体得ですので、不適切なところがありましたら、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  2009年12月5日
 
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/12/4/213776.html

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