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法を実証する中で人心を修めて捨て去る(四)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)

 常人の仕事の中で常人の心をなくす

 学校を卒業してからずっと、転々と仕事を変えていました。コックの仕事なのであっちこち転勤することも珍しくなく、国営企業や個人経営のレストランに勤めていました。いろいろと社会の事を熟知している私は、良い人になるだけでも難しいとしみじみ感じていました。大法を修煉する前、私は社会の中で典型的な良くない人でしたが、修煉してから師父の法理に従い、人生の意義が分かり、精進して修煉しました。そして、師父に身体を浄化していただき、正念を強めていただき、私も返本帰真の道を歩みました。

 1995年より修煉し始め、数年の修煉を通じてもう心性は高い、一般的なことを放下することができ、良くできたとうぬぼれていました。迫害が始まってから、正法の進行が次第に表面空間に突破しており、私の常人の心が仕事の中に現れたと気付きました。例えば、国営のレストランで、他の人は利益ばかりを考え、会社の物を食べたり持ち帰ったりすることがしばしばありますが、私は修煉者の自覚を持っているので、当然そのようなことはしません。しかし、人がこっそりと持ち帰るのを見て心のバランスが取れず、上司はこの事を知るべきだと思い、私だけ取らないことを知って褒めて欲しいと思っていました。社員に生活支援の物を配当する時に、自分はたくさん奉仕して苦労しているのでもらうべきだが、他の人は何もしていないのになんでもらうのか? 上司は事実を知らないだろうと、とても不平に思っていました。自分が一日頑張っていて、最後に何かで叱られたときにとても不快で、自分だけが優秀だ、リーダーはわざとしているのだ、他の人が遥かに劣っているのも知らないかと思います。また、後輩が私と上手く協力できなかった時に、いつも厳しく叱って、全く寛容ではなく、さらに、これはあなたのためだと付け加えます。

 学法、法を暗記することを通じて、自分がいつも人と比べており、自分の過去と比べており、大法の高い基準に照らし合わせて自分を律していないと分かりました。これらの心は表面的に人に話さない限り、皆が知らず、分かりづらいことですが、大法に照らし合わせるとこの心は緊密に自分を縛っており、師父に言われた状態と遥かに違います。自分は汚い泥水で自分をすすいだだけで、人よりきれいだと思いこんでいたに過ぎません。

 大法弟子として、法に対して、自分に対してすべて厳粛に対処しなければなりません。人心が徐々に生じたときに気づかず、トラブルが発生したてはじめて内に向かって探します。これはすでに大法弟子のイメージを損ないました。言うよりも身をもって教える方が伝わります。常人社会での修煉は、最大限に常人の状態に符合しますが、常人と同じではありません。常人と同じく争ったりしては常人と同じになってしまい、自分が大法に洗練された生命には見えません。自分自身を純正に修煉して、「いかなる佛(ほとけ)、いかなる道(どう)、いかなる神、いかなる魔に対しても、心が動じることがなければ、必ず成功するに違いありません。」(『転法輪』)のようにして初めて、自分の環境を変え、周りの人に認められて、さらに衆生を済度する前提になります。

 以上は私の浅い修煉体験であり、皆さんと共有できればと思います。間違ったところはご指摘ください。

 (完)

 2009年12月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/11/25/213153.html

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