■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/12/06/mh071328.html 



師父を信じ、法を信じ、正念を持って正しく行う(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)(送稿者注:これはある大法弟子の修煉体験である。彼は迫害により高官から貧民になり、和やかな家庭だったが息子を失い、多くのことを経験した。彼は堅実に師父を信じ、法を信じることによって、正念を持って正しく行い、乗り越えてきた。彼は三つのことを努力し、真相を伝え、衆生を救うあらゆるチャンスを逃さなかった。数年来、毎日数十人に脱党を勧め、妻とともに1万人を脱党させた)

 1994年4月末、幸いなことに私は師父の講習会に参加することができました。数千万年にわたる「迷いの中で道を知らない」道程を終え、返本帰真の大道に入りました。修煉してからもう15年もの春秋が過ぎ、15年の風雨のような日々を経て、それは今思い出してもありありと目の前に浮かんできます。修煉し、法を悟った喜び、関を乗り越えられず、法理が悟れない悲しみと苦しみがありました。法を得て修煉し、大法を実証し、衆生を済度しながら今日まで歩んできたのは、師父が慈悲で済度してくださったからです。師父を信じ、法を信じることによって、私はもう人生において迷いはなくなり、正念を持って正しく行い、衆生を救い済度することにおいて、さらに勇猛精進するようになりました。

 明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会にあたって、偉大な師父と同修たちに、私がこの十数年で法を学び、法を実証し、衆生を済度してきた修煉の経歴を報告させていただきます。

  一、大法は私に再びの命を与えた

  私は修煉する前に、十種以上の病気にかかっていました。ひどいのはメニエール病で、強い光を見ると、両目が針に刺されたように痛かったのです。気管炎、頸椎骨増殖のせいで脳に血液が足りず、めまい、胃痛、腰の肉離れ、両足のリュウマチなどがありました。特にメニエル症と脳貧血は、発作時に、天地がぐるぐる回って、嘔吐が止まらず、生きるより死ぬほうがましでした。しかし、これらの病気は私が師父の講習会に参加してから、不思議に全部治りました。その時、この法はすばらしいと感じました。病気を治し、体を強める不思議な効果があります。それは何も信じなかった唯物主義の私を変えました。

  二、学法し、昇華する

 体が良くなったことによって、私は固く大法を信じ、疑ったことはありません。法を勉強し続けて、師父が私の体を調整してくださったのは修煉するためだと分かりました。人間はみんな天から来て、神に作られたのです。病気になったのは生々世々に借りがあったからで、人生の真諦は返本帰真なのです。

 時間を経て、法に対する理解が深まるにつれ、私の思想の境界も昇華し、世間の名利情を軽く見るようになりました。師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)とおっしゃっています。修煉は人心に焦点を合わせて、絶えず自分の執着を取り除き、人生の目的が明確になり、物質世界にあるものをだんだん重く考えないようになりました。私は1年ぐらい修煉したとき、職位が変わる時期になり、ほかの人は賄賂を贈ったり、よい職位をほしがり、よい仕事を欲しがりましたが、私は運命に任せ、ほかの人のように賄賂とか、特別な関係を作ったりしませんでした。いろいろな方面からの圧力に耐え、自分の心性を守ることができました。上級の職位から退いて自分で仕事をするようになりました。正規の仕事をあきらめましたが、心身ともに学法と、法を広める流れに任せ、充実した生活をしてきました。もう一つのことですが、普段仕事の中で自分の仕事以上のお金をもらうことがあり、法を学ぶことによってそれは不義のお金だと悟り、そのお金をすべて貧しい人のために学校を作る機関に寄付しました。

 

  三、あらゆるチャンスを利用し、真相を伝え、世人を救い済度する

  10年来、私は真相を伝えてきました。野菜売場、商店内、道、勤務先、病院、汽車の中、タクシーの中、披露宴、親友、田舎の故郷、派出所、民生委員会など、チャンスがある限り、人々に真相を伝えました。たくさんの縁のある人のために、「三退」を勧め、よい効果を収めました。最初は怖くて真相を伝えられませんでしたが、法を学び法の理解を深めることによって、認識が高まりました。師父は『2002年度ボストン法会での説法』の中で「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをする時の心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」とおっしゃっています。

  時には怖く思うことがありますが、師父を信じ、法を信じ、法を勉強した以上、信じなければなりません。正念を持って正しく行うべきです。大法は普通のものではありません、勉強しているのに、信じないのは修煉していると言えるでしょうか。認識が高まってきたので、恐れる心もなくなり、何も心配することなく真相を伝え、人を救い済度することができるようになりました。

  例をあげましょう。隣の人は新聞に借家の情報を載せましたが、仕事があるため、借りる人に家の様子を見せることができないので、鍵を私に預けました。家を見にきた人に対して、私と妻はそのよいチャンスを利用して、1人は正念を発し、もう1人は真相を伝え、彼らを邪党の組織から脱退させました。

  師父は「慈悲は能く天地の春を溶かし、正念は世中の人を救う可し」(『洪吟(二)・法正乾坤』)とおっしゃいました。確かにそうです。心を静めて法を勉強するたびに衆生が救い済度されるのを待っているのを考えると、家にいられず、外に出て真相を伝え、人を救い済度するのです。そうすると良い効果が得られます。私は自転車に乗って、40キロメートル四方の地域を何度も走り回りました。たくさんの人が真相を理解し、三退しました。それによって外で真相を伝える時、邪魔されることはなくなります。

  妻は定年になってから、私と一緒に真相を伝えるようになりました。1人が伝え、もう1人は正念を発するともっと効果がいいのです。三退をした人、真相に反感を持たない人に真相のVCDをあげました。多くの人が見れば真相が分かるはずです。

  (続く)

  (明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

  2009年12月6日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/5/211394.html

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