■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/12/07/mh082329.html 



常に内に向かって探し、正念をもって正しく行う

文/中国の大法弟子

(明慧日本)しっかり学法して内に向かって探し、正念をもって正しく行うことは、師父にいただいた修煉の宝です。長い間、学法と内に向かって探すことはできると思いますが、一挙一動でも正しく行うことはしばしば軽視されがちです。正念は神の念、正しい行いは神の行いです。修煉者として常に内に向かって探しながらも、正念をもって正しく行うことを重視しなければならず、いつも真善忍の基準で自分を律して初めて真の修煉になります。

 一挙一動でも正しく行おうと思ったら、学法や煉功、発正念、真相を伝えること、常人生活の中での一言、行い、目つき、表情、仕草などすべてを真善忍の基準に照らし合わせて、しっかりと行うべきです。学法は師と法を尊敬して学び、煉功や発正念も厳しく定められた動作で行ない、真相を伝えるときは慈悲をもって衆生に接し、私心や雑念がないように行います。また、身なりも清潔にして身分に似合った服を着るべきです。日常生活の一言、動き、目つき、表情も真善忍の基準に照らし合わせ、歓喜心、顕示心、安逸心、嫉妬心、怨恨の心、闘争心、色欲心、欲張り、好奇心、羨む心、軽蔑心、差別心、依頼心、虚栄心などなどを捨て去り、つまり衆生に慈悲の心を持つことであり、神の言動で自分を律して純粋な真、善、忍になることなのです。

 今の社会はすでに変異しており、人々の間でずいぶん道徳が堕落しています。たとえば、同僚や友達の間でなにも構わず冗談を言い、人をあざ笑い、あるいは性的な話をしたりします。また、冗談の中で男女の間でもなれなれしくすることがあります。社会の有名人に関する話などに興味を持つことなど、これらのすべては修煉者としてやってはいけないことです。変異した常人にとっては普通かもしれませんが、修煉者は、常人との間でメンツを保つためだといって、法理に背いても行けません。常人の基準に合わせたら常人であり、真善忍の基準に照らし合わせて初めて、真の修煉者となります。

 以上は個人的な悟りであり、ご慈悲に指摘してください。

 2009年12月7日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/12/3/213711.html

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