正念をもって正しく行い、法の中で精進する(四)
文/台湾の大法弟子
(明慧日本)
人間の観念を突破し、さらに勇猛に精進する
この2年の間、ときには一見、難が非常に大きく、乗り越え難く、耐え難かく、あとどれほど耐えればいいのか分かりませんでした。しかし、毎回、正念を持って難を乗り越えることができた理由として、最も重要なのは、平素から自分を厳格に律することです。すなわち、「よく法を学び、よく法を学ぶ」ことです。毎日、2講のグループ学法をしますが、観光スポットに立つとき、内心は非常に辛いとよく感じました。衆生がそれほど多いため、彼ら全員の救われる機縁を失いたくなかったのです。すると、私は心の中で次の一念が生じました。「一人の修煉者は、もっと高いレベルの空間を突破し、有するエネルギーがもっと強くなることは可能でしょうか。そうすれば、同じ言葉でも、もっと多くの邪悪を制して解体させることができます。同じ言葉でも、衆生のもっとミクロの空間の意識に打ち込むことができ、一言葉ですべてを制することができれば、もっと多くの衆生が真相を理解することができて救われます」しかし、振り返って考えてみれば、修煉者が向上したければ、唯一の方法は、もっと精進して法を学び、心を修めることです。しかし、毎日のスケジュールがそれほど緻密で、時間もなく、どうすればいいのでしょうか。睡眠の時間を犠牲にするしかありません。そのような状況下で、、毎晩12時の発正念が終わった後1時まで学法することを決意しました。
はじめは、とても眠くてきつかったです。昼間には意識が混沌として、発正念もよくできなくなり、真相もうまく伝えられなくなりました。顔には吹き出物、睡眠不足の状態が現れました。しかも数日間続きました。夜になって、同修の皆が寝ると、イビキ声が絶えないのです。人心も煽られて辛く感じました。冬には天気が寒く、布団に入って寝れば、どれほど暖かくて気持ちよいのかと思い続けました。本当に人間を選ぶか、神を選ぶかの選択です。
すべての人は修煉の道でたくさんの選択に直面すると思います。肝心なときに、法の基準で量り、正念を用いて対処するのか、あるいは一見合理的である人心と執着に動揺されるのか、これは非常に重要なことです。見た目では些細な決定、または意識できなかった一つの人心でも、一人の修煉者の勇猛邁進の度合いを決定してしまうかもしれないのです。
ですから、私は心を静めさせて内に向かってさらに探しました。私がこのようにする目的は何でしょうか。もっと多くの衆生を救い済度するためではないでしょうか。その出発点はとても正しいのです。決して私のためではなく、自分の向上と円満成就のためではありません。他の面でいうと、法理に基づいて認識すれば、一人の修煉者は絶えず向上して上を目指す意志を持たなければならず、すでに精進している中で、どうしたらもっと精進できるのかと考えるべきです。しかも、法を学ぶことと心の修煉をさらに強化し、向上がさらに速くなれば、三界内の物質空間の制約をますます受けなくなるのではないでしょうか。それでは、なぜ、精神状態が悪くなったのでしょうか、なぜ、常人の睡眠不足の状態が現れるのでしょうか。
法に基づいて認識できてから、一瞬にして心がぱっと明るくなりました。なるほど、これらのすべて現象は虚像に過ぎないのです。私がもっと多くの衆生を救い済度するその一念は本物なのかどうかを試しているのです。そのことに気づいたら、すぐに自分のすべての正しくない状態を根底から否定し、さらに法を学ぶことを強化しました。すると、1週間あまりでこの難関を突破することができました。その後、さらに学法の時間を増やし、通常は朝方2時、3時まで法を学びます。突破できたら、またも新たな人心の試練がやってきます。放下できれば、さらに突破します。その後、状況が格別によいときでは、朝方4時、5時までも頭がすっきりしていて、6時になってまた出かけます。昼間一日中まったく眠くないですし、主意識もますます強くなりました。今になって、夜に横になって寝ることももったいないと思えるようになって、一晩中座り、寝るにしても座って寝ます。頭がはっきりと保てる時間を最大限に法を学ぶことに費やしています。法は本当に貴重すぎます。私たちは法に同化するためにやってきたのではありませんか。
私が思うには、修煉の道において、最大の真の妨害とかく乱は、自分の人心と観念です。取り除いた分だけ向上できます。そして、安逸は修煉者の最大の苦しみです。それにより法を得ることができず、向上できず、しかも、自分でこの苦痛に気づくことができません。
大法弟子全員に祈願します。わが身のすべてを果たし尽くして、師父が求めておられることに円容し、すべての衆生を救い済度し、大法の威徳を樹立しましょう。師父が認めておられないものすべてを、全部滅するまで取り除きましょう。このことは、すなわち、一つの生命の最大の智慧と善の念であり、威徳です。その過程において絶えず精進して法の基準に達します。同修の皆さん、私たちが大法の中で修めた偉大な能力、慈悲および正念を用いて、すべての衆生を救い済度し、師父と衆生の私たちへの期待に背かず、神に向かって邁進しましょう! 神の威力を存分に現しましょう!
師父に感謝します。同修に感謝します。
(完)
(2009年アジア法輪大法修煉体験交流会)
2009年12月8日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/27/213367.html)
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