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正法修煉の中で成熟に向かう


文/日本大法弟子

(明慧日本)尊敬する師父、こんにちは! 同修のみなさん、こんにちは! 私はここで自分の修煉体験をみなさんと交流したいと思います。

 一、広告デザインをする中での体験

 より良く真相を伝え、世の人々を救い済度するため、日本の大法弟子も他の国の同修と同じように『大紀元時報』を創刊し、新唐人テレビ局などのマスコミを作りました。マスコミをより良く運営してこそ、衆生を救う作用をより良く発揮することができ、常人は大法弟子が造ったマスコミを通じて法輪功の実態を知ることができます。マスコミを運営するなかで広告は重要な作用をもたらします。これも私が大紀元の仕事をする中で認識してきたことです。

  私は広告のデザインを始めて6年経ちました。最初はただデザインに興味があり、また同修が励ましてくれたこともあり始めました。今考えてみると、最初のころはただ自分の感覚に頼ってデザインをしていましたが、だんだん慣れてくるとクライアントが何を宣伝したいのかを考えて、相手のことをまず考えるようになり、問題を見る角度も変わって、デザインをすることも簡単になりました。当然、この過程のなかで多くの心性を錬磨することができました。

 最近、ある広告のデザインをしているとき、締め切り日が差し迫り、残り2日しかなく、まだ一度もクライアントに確認してもらっていない状況でした。初めは順調でしたが、クライアントにファイルを送って確認をしてもらうためにファイルを保存しようとした時、メモリ不足のエラー画面が出た後、パソコンが固まってしまいました。たぶん再起動したら大丈夫だろうと考えました。再起動して、そのファイルを開いたら、画面が真っ白になり、インターネットも繋がりませんでした。

  私は法の上で認識せず、常人の考えで、たぶんパソコンを起動させた時間が長かったので、少しシャットダウンしてパソコンを休ませたら、ファイルを回復するだろうと思いましたが、何も保存されていませんでした。最初からやり直したら、いったいどれほどの時間がかるのか? 数十個のファイルをまとめてもう一度デザインし直し、また商品の説明も入れなければなりませんでした。こんな大きい広告のデザインをする時間が2日しかないのでは無理だと私は心から営業の同修を恨みました。

 私は少しの希望を持って、他のデザイン会社に勤めている同修にほかに消えてしまったデザイン取り戻す方法がないか聞きました。同修も、かつて大きな広告のデザインを3回もやり直したことがあったそうです。後で同修は自分の中の容量が既にいっぱいで、容量を大きくしなければならないと悟ったと話してくれました。同修の一言が私を悟らせてくれました。あの2日間は広告のため、学法と煉功ができませんでした。心では時間が差し迫っているので、これが終わってから学法と煉功をしようと思っていました。これは『転法輪』のなかの「ある程度お金を稼ぎ、家族が安心して暮せるようにしてから、何もかも打ち捨てて修行を始めたい」と同じ問題ではないでしょうか。

 時間が差し迫っているので、たとえ10分、20分でも良いと思って私は学法をし、発正念をしました。パソコンも私と同じく法を実証する生命で、かれらも法を実証するためにやってきたもので、同じく大法に同化すべきです。妨げられてはならないとの一念を発しました。その後、奇跡が起きました。メモリ不足になったパソコンが正常に動き、デザインを終わらせる事ができ、クライアントにも1回でOKをもらいました。今考えてみると、修煉の角度で問題を見ることと人心でみることは、本当に一念の差でした。

 二、人心を放下し協調する

 最近、師父の説法の中で協調と協力の問題に言及されていました。私はずっと普通の修煉者になっていれば十分で、協調は口が達者で、能力がある同修がすることだと思っていました。

 去年、協調人の同修が私を訪ねてきて、数人の同修に集団学法の中で司会をやってほしいと話してきました。私はこの方面のことは得意ではなく、しかし断ると自分が問題から逃避していることにはなるのではないかと思いました。昔、他の同修が司会をしているとき、私はずっと集中できませんでした。あるときは傍の同修と小さい声で話し、同修たちの意見が食い違って混乱状態になっているときも自分は何も話さず、心から修煉者の場は純粋で穏やかであるべきだと外に向って探していました。

 師父は『米国西部法会での説法』でこのようにおっしゃっています。「私はいつも皆さんにこのことを話しています。つまり、二人の間にトラブルがあった時、自分に何かの問題があるのではないかとそれぞれの原因を探しています。皆自分にどういう問題があるかを探すべきです。もし第三者が彼ら二人のトラブルを見たら、その第三者も偶然にそれを見たのではないと私は思います。どうして私に彼らのトラブルを見せたのでしょうか、私にまだ足りないところがあるのではないか、と第三者であるあなたまで、考えるべきです」 まして私はあの学法の環境の中にいて、必ず私が修めるべき心があるわけです。私は話を持ちかけてきた同修に司会をしてみると話したのです。

 集団学法の司会をするようになって、これは私の次元を向上させる良い機会であることに気付きました。更に集団学法を重視することができ、内に向かって自分を考える時間も増えてきました。毎回自分の体験を話す時、自分に対しても一回の突破です。同修の中で違う意見がどんどん出てくると、見た目は騒がしいですが、悪いことではありませんでした。『転法輪』の中でも書いてあります。「トラブルがなければ、心性を高める機会を与えられなければ、人は向上していけないものです。和気藹々としていてどうして修煉できるでしょうか」 自分の心理状態が変わってきてから、周りの環境も変わりました。同修の間の交流は意見も食い違いますが、それは全部良く行うためです。このことを通して本当に内に向かって探すようになり、不平をこぼすことも少なくなりました。

 後で同修はまた私に真相を伝える活動の協調をするように頼みにきました。私はまた難しいと思い、人心が出てきました。以前地元の法を実証する仕事を協調した同修は常に指摘され続け、地元で協調をしようとする同修はいませんでした。後で内に向かって探し、私に他人に言われることを怖れる心、面子を重んじる心などの人心があることが見つけました。考え直し、協調の仕事をすることはちょうど向上する良い機会になるのではないのか? 師父が向上する機会を下さったのに、名利心、嫉妬心などの執着に妨げられて前に向かって行きたくなく、自分が帰る道を阻んではならない。そう思い、私は協調役を引き受けました。

 協調することは、自分にとって勉強する過程であり、修煉の過程でもありました。経験もなく、参考にするものもありませんでした。まだ多くの不足がありますが、皆と共にこの修煉の道をよく歩みたいと思っており、私に足りない部分があれば、直接私と交流して、共に向上したいと思います。

 以上は個人の悟りで、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

  2009年12月9日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/12/5/213829.html

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