私心を修め 奇跡を体験
(明慧日本)
私(し)と情をなくし、正しい修煉の道を歩む
私は1997年に中国で法輪功の修煉を始めました。1998年から国外に定住しましたが、大法に対する認識が浅く、精進しなかったため、旧勢力が按排した個人修煉の脇道に入りました。2006年になってから煉功点を探し、2007年に新たに大法の中に戻りました。これらの事を振り返ってみると本当に痛恨で、自分があまりに愚かだったと反省し、失ったものは計りしれません。
修煉を始めたときの事を振り返ってみると、当時私は病だらけで、仕事もできませんでした。煉功を始めて半年間、師父は私の体を浄化してくださいました。例えば喘息・高血圧・糖尿病・癌・腰と足の痛みなどがなくなりました。私は海外に定住し迫害を逃れましたが、私はこれを大切にせず、かえって「情」に陥りました。私は、自分が若い時仕事で忙しく、家族の面倒を見られず、子供への配慮が少なかったことで、いつも子供に申し訳ないと思っていました。今は定年退職し、海外に来て、病気もありません。私は少しでも子どもへの借りを補おうと思いました。このようにして「情」にしっかり纏いつかれ、家事に引っ張られ、悩みに陥り、数年間は抜け出せませんでした。
2004年、息子は私を手伝って師父の世界各地での説法と新経文をすべて印刷してくれました。私はこれらの経文を読んで目が覚めました。自分が数年間やったことは修煉だったのでしょうか? 常人の情を重要な位置に置いて、それが自分の修煉によいことだと思っていました。これは旧勢力が按排した道ではないでしょうか? この時私はやっと自分の法に対する認識が浅すぎるため、このように大きく遠回りし、ひどく転んだことに気づきました。
私が表に出ようとした時、また妨害に遭いました。電話をかけると出る人がなく、場所がわからず、行きようがありませんでした。私が煉功点を探した時も旧勢力の邪魔が入り、私に正しい修煉をさせませんでした。毎回私が煉功点の近くに行くと、心臓がどきどきし、頭の中で気がかりが現れました。他人が私を笑いものにするのではないかとか、他人が自分を無視することを恐れていました。こんなに長い間、表に出てこなかった自分が大法弟子だと言えるでしょうか? 体がとても弱々しい私が大法弟子に見えるでしょうか? 皆が私を信用するでしょうか? そこで煉功して、大法に影響することはないでしょうか? 頭の中ではこれらの自己中心的な私(し)のための考えが生まれました。実はこれらの気がかりはすべて大法に背くことで、間違っています。もし私がこれらの気がかりを認めれば、また旧勢力の按排した道に戻るのではないでしょうか? 「いけません。私はこれらの悪い思想を排斥し、師父の話された通りにします」と、自分を落ち着かせて、私は煉功場に入りました。その結果、私は気持ちが楽になり、心の負担を下ろしたようで、大きなエネルギー場を感じました。
このような私(し)の思想が、常に私を邪魔していました。同修は私を腰太鼓チームに参加させようとしました。私はびっくりしました。腰太鼓を打ったことのない、70歳を超える私にできるでしょうか? 最初の反応は「駄目」でした。同修は私を励まし、私は冷静に考えました。「やってみなくどうしてわかるでしょうか? やってみよう。きるかもしれない」と思いました。
師父は「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」(『転法輪』)とおっしゃっているではありませんか? なぜ私は「駄目」だと思うのでしょうか? これももう一つの自己中心の私(し)のための思想です。ここには自分のイメージがよくないと恐れ、体力がついていけないのではないかと恐れ、動作が一致しないのではないかと恐れ、恥をかくのではないかと恐れる心がありました。
私は自分に言い聞かせました。「これらの自己中心の私(し)のための、よくない考えを捨てよう」 腰太鼓の練習をするとき、確かに腰太鼓の音の威力を感じ、長きにわたった腰の痛みが、腰太鼓の音の中でしばらく止まりました。痛みはまた帰って来ましたが、私は分かっていました。腰太鼓の音の中で痛みが無くなっている。この痛みは私に属さないもので、それは外在の業力或いは邪悪な迫害であり、念が正しく正念が強ければ、痛みはきっと徹底的に消えてなくなるはずです。
自ら大法の奇跡を感じる
今年私はアメリカに行って法会に参加しました。収穫は多く、最も幸せだったのは師父にお会いしたことです。直接師父の説法を聞き、大法の奇跡を体験しました。アメリカに行く前、足の骨折が完治せず、歩くのが遅く、少し痛みがあり、びっこをひきました。法会の前日にパレードがあることを知り、歩き通せないのではないかと心配しました。しかし、マンハッタンでのパレードで、長時間、長い道をあるいでも私の足は痛むことなく、通常通り歩くことができました。私は嬉しくて驚き、もう一度大法の奇跡を感じました。もともと戻ったらもう一度手術して、足の金属を取るつもりでしたが、こうなったら金属をそのまま足に残そうと決意しました。大法の事をするのが最も重要です。手術をしたら半年間は足が不便で、真相を伝え衆生を救い済度する大事なことに影響します。これは師父が大法の威力で私に悟らせて下さったのです。アメリカから帰って来てから、足の回復はもっと速くなりました。
アメリカのロサンゼルスからニューヨークへの飛行中、飛行機が離陸してまもなく、私は天国楽団の「法輪大法はすばらしい」の演奏を聞きました。一回一回繰り返し、音は天から伝わって来ました。私は窓から外を見ましたが、雲しかありませんでした。この時私は、これは師父が私に「法輪大法は素晴らしい」と念じさせたのだとわかりました。聞いて、念じると私の身の回りのすべてがなくなり、何も感じず、音楽と法輪大法は素晴らしいという声しかありませんでした。しばらくして、天国楽団の演奏が突然停まりました。私は本当にずっと続けて欲しかったのです。演奏は30分続きました。演奏が終わると、私はとても元気になり、旅の疲労は消えてなくなり、頭はすっきりして、心の中はとても落ち着いて純粋でした。私はもう一度大法の奇跡と神聖さを経験しました。
法会の間、同修らは皆一緒に泊まり、一緒に食事をし、一緒に法を学び、煉功動作を直したり、一緒にフラッシングに資料配りに行ったりしました。修煉者が一緒にいる場がとても心地良いと感じました。一部の同修のエネルギー場はとても大きく、彼らは法の勉強が良くできており、やるべきことを良くしました。私との差は大きく、特に法を学ぶ面で私は同修に学んで、真面目に「比学比修」(お互いに学び合い修め合い)し、絶えず自分の心性を高め、正念を強くし、よく法の勉強をして、大法の事をしっかり行いたいと思います。
2009年12月9日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/8/213848.html)
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