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広州:張麗霞さんは再び労働教養を科される

(明慧日本)張麗霞さん(40歳女性)は、広州市越秀区仰忠街に住み、広州の会社で経理の仕事をしていた。B型肝炎と表面抗原帯菌者であった張さんは、1998年から法輪功を修煉して、薬を飲まなくても奇跡的に快復した。しかし、1999年「7.20」から中国共産党は法輪功を迫害し、張さんの生活は変わってしまった。仕事を失っただけでなく、北京へ陳情に行ったため不法に2年の労働教養を科された。釈放され広州に戻った後、セールスマンとして働いていたが、民生委員会からの嫌がらせの電話や派出所の警官の「訪問」などで、落ち着いた生活ができなくなってしまった。

  再び連行され、労働教養を科される

 2009年7月20日の夕方、広州珠光街の民生委員会の人々が張さんの家を訪ねた。「街の衛生評価成績表」を書いて欲しいと言い、張さんが自宅にいることを確認した後、すぐに階段に隠れていた警官らを呼び、警官は部屋に突入して、パジャマのままの張さんを連行した。

 2カ月後、家族は初めて張さんが天河留置場に監禁されたことが分かった。その後ほどなく、民生委員会の情報によれば、張さんは健康診断で2回も不合格で労働教養所は収容できないという理由ですぐ釈放するということだった。しかし、1カ月経って、張さんは2年の労働教養を言い渡され、広州女子労働教養所に移送された。

 家族が労働教養所へ面会に行ったところ、警官は張さんがもし「転向」しなければ、今後は面会が許されないと警告した。家族は張さんのことをとても心配し、特に健康の状況について、前回の労働教養所での迫害された経験を思い出して、ぞっとした。

  残酷きわまりない拷問

 張さんは1回目に2年の労働教養を科された理由は、北京へ陳情に行ったからである。2001年と2002年に北京労働教養所で毎日苦しみに耐えてきた。張さんに法輪功の修煉を放棄させるため、教養所側はさまざまな残酷きわまりない拷問を用いた。例えば、高圧電撃を受けた張さんは頭の皮膚が無数の針に突き刺されたように、少し触っても痛くて耐えられなくなった。そのため、張さんは長い間眠れなくなった。また、ラー油を飲ませられる拷問で、張さんは4、5人の警官にしっかり手足を押さえられ、1人の警官に鼻をつままれ、呼吸できなくなり、口を開いたところ、口がすぐ器具で広げられ、真っ赤なラー油をのどから注ぎ込まれた。張さんが本能的にもがいた時、ラー油が鼻から肺に入り、ひどく咳き込んで、体が無意識に跳んだ様子を見た1人の警官は「死んだ、死んだよ」と怖くて泣き始めた。これらの残酷きわまる拷問が原因で、張さんは長い間ひどく咳き込んでいた。釈放された後も、咳が1カ月ほど続いた。

  このような非人道的な迫害を張さんは何度も受けていた。正義も道理もない暗黒社会の中で2年を経て、当時30代になったばかりの張さんは、すでに髪の毛が真っ白になってしまった。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年12月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/8/214031.html

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