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修煉の中で得た二つの教訓


文/中国長春の大法弟子

(明慧日本)以下は、私が修煉の中で得た二つの教訓です。ここに書いて皆さんと交流したいと思います。

 《一つ目の教訓》

 2005年10月、同修と一緒に買い物を行く途中、国家保安と派出所の警官らに強制連行されました。初めてこのようなことに遭遇したので、心が落ち着かず、常人の念が動じて警官らと争論したりしましたが、結局相変わらず15日間の拘留を避けられませんでした。家族の情的な脅迫の前で、私はまた常人の念が動じて「保証書」を書き、釈放されました。

 家に帰った後、私は「保証書」を無効にするという「厳正声明」を発表しましたが、今回の試練を乗り越えられず、心性を守れず、本当に慈悲なる師父の済度に申し訳なかったのです。深刻な教訓により、私は内に向けて探しました。なぜ10年あまり修煉してきたのに、肝心な時にやはり試練を乗り越えられないのでしょうか。まず、恐れる心があり、労働教養を恐れ、苦を嘗めることを恐れています。次に、一心不乱に学法することができず、読んでいても頭に入らない時が多く、結局自身の大法に同化することが遅くなり、したがって、肝心な時に人間の考えが浮かんでしまい、修煉において良く行えませんでした。

 釈放された直後、私の身体にも異変が起きました。腹部の皮と肉の間に豆のようなものができて、非常に痛かったのです。周りの同修も私の状態を心配しました。私は法をたくさん勉強し、正念をたくさん発し、三つのことをきちんと行ない、自己の執着を徹底的に探し、旧勢力の按配を否定し、師父の按排に従うよう着実に修煉し始めました。特に、深夜0時の発正念、私は自己空間の邪悪を取り除く時間を延長させ、徹底的に浄化しました。

 ある日、深夜の発正念のとき、腹部に痛みが起こり、同時に師父のご加持も感じました。私はその時に正念が非常に強く、その豆のようなものが解体されているのに気づきました。およそ30分後、腹部の豆のようなものがあった部位は卵のような大きさの赤みができ、はっきり見てみると、すべて小さく赤い点で、それらの点は翌日乾き、数日後に快復しました。

 この事件を通して、修煉の厳粛性を認識し、肝心な時に人間の考えを混ぜ入れると本当に危険です。これは私の一つの教訓です。

 《二つ目の教訓》

 田舎の夫の弟の家計についてでした。夫の弟夫婦は生活に余裕がなく、豚を飼って苦労してやっと3万元貯めたにもかかわらず、子供は都市で家を買うことを口実にしてその3万円を欲しがりました。このことに、私は非常に不平で、気になっていました。弟夫婦は苦労して家を支えているのに、不孝な息子がさらに親の貯金を狙っているのです。私はこれを許せず、必ず弟夫婦に何か言おうと思っていました。ある日、弟は我が家を訪れ、私は彼の子供にお金を出すべきではないと夢中になって話しました。話した後、私は弟の代わりに家を出て薬を買いに行きました。しかし、店に着くと、弟からもらった400元がなくなったことに気づきました。おかしなことに、私は財布をずっと手に持っており、どうやってお金をスリに取られたのでしょうか。修煉者として、出会ったことはすべて偶然ではないので、私は反省してみると、夫の弟の家庭内部のことに干渉すべきではないと私は悟りました。

 「その因縁関係が分からなければ、ものごとを取り違えてしまいやすいのです」(『転法輪』)と師父は教えてくださいました。このことを通して、最後になって、法の我々に対する要求も厳しくなり、我々は相変わらず常人と混同してはいけないのです。我々は常人社会で修煉していますが、常人の理で物事を量るのではなく、超常的な理で量らなければなりません。いつも法を学び、いつも修煉者として自律し、着実に修煉してはじめて妨害が少なくなり、遠回りせず歩めるのです。

 2009年12月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/7/213688.html

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