■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/12/13/mh143573.html 



安逸心に注意

文/海外の大法弟子

(明慧日本)今、朝の3時15分(北京時間は0時15分)で、発正念を終えました。私は自分の現在の心情と体得について、特に安逸心について書き、自分も同修も気をつけるように呼びかけたいと思います。

  安逸心は、修煉者が気づかないうちに生じるもので、安逸心は生じても見つかりにくく、次第に拡大するので、常に気をつけるべきだと思います。もし、早い段階で取り除かなければ、修煉の道に大きな妨害となり、修煉を中途半端にする可能性があります。

  私の今日の状況を話したいと思います。今日の昼、忙しい情況下で「三つのこと」をよく行いました。しかし、夜になって、昼よりゆっくりできるということで、かえって安逸心を引き起こし、効率が悪くなり、正念が足りなくなりました。1日でやるべきことをやりきり、余った時間は、「余分」として自分のことばかり考えてしまいました。早寝はもったいないと思いながらも、自分に休憩時間を与えようと寝てしまいました。今日の状況と同じようなことが最近3回も起きたのでした。

  今日、私は、空いている時間に『転法輪』2講、『精進要旨』、新しい経文を学び、2講の説法も聞きました。夜、8・9・10時(北京時間6・7・8時)の時間に発正念をしました。少し疲れ気味で、組んでいる足を下ろしてしまいました。私は「緩まないで」と自分に言い聞かせました。

  それからの時間は、真相電話をかける予定だったのですが、「5分ぐらい寝てからやろう」と正念が不足してしまいました。電気も消さず、窓も閉めず、そのまま寝てしまい、目が覚めたのは、夜中の2時頃で、4時間も寝てしまいました。真相電話をかける時間がなくなってしまいました。三つのことをやるべきなのに、一つ足りませんでした。それから、夜明けまで、学法をしようと思いました。

  私は、最近このような状況が数回ありました。5分間だけ寝るという念が出るとき、寝てしまうかもしれないという感じがあったのにもかかわらず、寝てしまいました。私の安逸心で大法弟子が衆生を救い済度すべき時間を逃しました。これは、私の正念が不足している問題でしょうか、それとも私は真相を伝えることを重視していないのでしょうか、慈悲心が足りないのでしょうか。この裏には、必ずいっそう深い執着と不正な要素が隠れていると思います。内に向けて探すということは、本当に根元まで探さないといけません。

  内に探してみると、その根本的な原因は自分の固有観念で、毎日の睡眠時間が少ないという観念です。この観念が安逸心を求める根源なのです。私は、毎日夜1時過ぎに寝つき、1時間半〜2時間ぐらい寝て、3時に起き、発正念をしてから、静功を煉功します。その後、また1時間半〜2時間ぐらい寝ます。5時半に起き、公園へ行き、煉功します。毎日、自分の睡眠時間に対してよく考えているうちに、睡眠時間が少ない観念が深く染み込みました。睡眠時間が足りない観念を形成し、安逸を求める心は、しだいに拡大してしまいました。毎日、三つのことをよく行い、執着を修め、時々刻々と大法に同化するようにと自分を要求し、自分がとても精進していると思っていました。3時に起きられず、発正念の時間を逃すこともしばしばで、三つの目覚まし時計があっても目覚めない私は、その後、睡眠時間が足りないという口実で自分を納得させていました。

  ですから、この観念はもっと高い次元への突破の妨害となりました。よく考えてみると、この観念は私的なものです。旧宇宙の生命は自己を保護し、自分を守り、まったく利己的なものです。しかし、新しい宇宙の生命は、私(し)の心を持たず、人を優先するもので、本質的に違いがあると私は認識しました。私の睡眠時間が少ないという観念は自己保護のもので、肉体に対する執着だと思います。

  修煉は極端に走ってはならず、神の正念のような念を持つべきです。もし、正念が強ければ、4時間の睡眠はすでに十分です。ただ私の修煉の次元が足りず、その状態に達していません。しかし、このことを通じて、私の執着心と古い観念が見えました。

  先日、明慧ネットで同修の『師父が引き受けてくださったこと』という文章を読み、涙が流れて同修と共感しました。師父は宇宙にある一切の生命を慈悲深く救い済度してくださいました。しかし、その報いを何も求めておられません(実はいかなる生命でも、師父の慈悲なる救い済度に報いることができるものはありません)。

  朝、沐浴(清めるために髪・体を洗う)した後、すぐ師父を拝みました。私は純粋な心で何も求めず、ただ謝恩しました。私は自分の生命の過去、現在から未来まで、最も微視的なものから最も巨大なものまで、その一切は全部師父から授かったものですから、もし、自分を守る一念を持てば、師父の恩に対して申し訳ないことになり、執着心や観念を持てば、師父に不敬なことになります。

  着実に三つのことをよく行い、自分を修め、欲を断ち、執着心、私的な観念を取り除き、一歩一歩成熟に向かって、師父の恩に報いたいと思います。

  2009年12月13日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/11/19/212903.html

明慧ネット:jp.minghui.org