■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/12/14/mh163397.html 



安逸心を取り除く

文/中国の大法弟子

(明慧日本)今朝、私はある町へ法輪功の資料を配りに行く予定でした。朝起きてみると雨が降っており、雑念が非常に多く、心が清浄でなく、気持ちも少し不安定でした。しばらく正念を発すると、少し良くなり、内に向かって探したところ、正念が足りず、思想業力が重いため、他の空間の良くないものに隙に乗じられたのです。目的は衆生を救い済度することを阻止するためでした。そこで、私は心を静めて法を暗唱し、努力して思想を集中して、40分ほど2段落の法を暗唱すると、心が少し落ち着き、更に尊師に加持していただき、資料と目的地に対して正念を発してから出発しました。

  町に着くと、人がたくさんいました。法を正すことを妨害する黒い手と邪悪を一掃するように正念を発してから、法輪功の資料を相次ぎ常人が背負っているかごへ入れました。入れながら、発正念をして、心の中で尊師の法を暗唱しました。「大法が広く伝わり、すべての衆生を救い済度します」(『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力がある」) 40枚以上の資料を順調に配り終わりました。身体がとても軽く、気持ちもとても穏やかでした。

  なぜ今朝の状態が悪かったのか? なぜもう少しで出てくるのを止めていたのかを駅へ向かう間、内に向けて探しました。思想業力が重い以外、安逸心もありました。それは、昨日別の町へ資料を配りに出かけて、終わってから同修と交流し、もう1人の同修に資料を届けに行き、帰宅するとすでに日が暮れていました。翌日配布用の資料を印刷して、同修の妻と折り畳み、全部終わったらすでに夜中になっていました。疲れていたので、ちょうど雨だから休んで気持ちよく寝坊しようと思ったのです。それに、自分が長期にわたり煉功を堅持することができておらず、甚だしきに至っては、疲れた時尊師に助けていただき、また尊師に耐えていただきたいと思うことさえありました(これはなんと悪い心でしょう!)。安逸を求める心がいかに危険なのか明らかに分かりました!

  尊師は今のこの時間を弟子のために残しておいたと、『各地での説法七・シカゴ市法会での説法』の中で「この瞬間は千金、万金に値します。この道をしっかり歩むことは最も素晴らしいことです」とおっしゃいました。衆生はみな助かることを待ち望んでおり、大法弟子として、師を助けて法を正し、衆生を救い済度することは弟子が誓った大願ですので、緩めてはいけません。今日法を実証しに行かずに、家にいれば、この日は空白になり、救い済度すべき衆生は自分のわずかな一念の差で救われなくなります。

  淘汰される中で、彼らと彼らが代表している天体と計り知れない衆生は、淘汰されることになります。本当に恐ろしいことです! 常人としては見殺すことになり、罪が更に重くなります。大法弟子は、慈悲を修めているのに、慈悲の心はどこにあるのでしょうか! 大法弟子は衆生が助かる唯一の望みであり、宇宙のすべての衆生が救い済度されることを切に待ち望んでいます。法を正す時期の大法弟子が当然負うべき責任であり、緩める理由はありません。少なくとも衆生に助かる希望を与えなければなりません。私は自分の安逸心を後になって怖く感じました。

  私達の地区の一部の同修は緩み始めています。すでに配ったので、もう配る必要はないと言って、最近資料をあまり配らない同修もいれば、修めた分は得ると言う同修もいれば、常人にまぎれて修めたり、修めなかったりする同修もいます。これはすでに安逸心に心を動かされて、もう一歩前に進みたくないようです。尊師は「もし、皆さんがいまだに法を正す弟子とはどのようなものか、はっきり認識できないとすれば、今の魔難の中から抜け出せず、この世で安逸をむさぼる心に動かされて、邪な悟りに陥ってしまいます。それらの落ちてしまった人に対して、師父はずっと心を痛めています。多くはこの心に動かされて、つぶれていった人なのです」 「大法弟子が偉大なのは、皆さんと師父が法を正す時期を共にして、大法を維持して護ることができるからです。もし、自分の行いが、すでに大法弟子として、ふさわしくなくなったならば、皆さん考えてみてください。この天地開闢以来、かつてなかった慈悲と佛の洪恩の下でも、いまだしっかり行なうことができなければ、どうして次の機会がありえますか?」 。(『精進要旨二・法を正す時期の大法弟子』)

  すべての大法弟子はかつて天上で洪大な大願を誓ったことがあり、師を助けて法を正し、衆生を救い済度する巨大な使命があります。それに自分の天体の中にも異なる次元の主や王が世の中にきて、全部救って欲しいと待ち望んでいるのです。あなたはそれらを見殺しにできるでしょうか? 緩められるでしょうか? 後何日浪費できるのでしょうか。「異なる次元の衆生に見えた宇宙の未来は、実のところ、存在しない虚像で、現在の人類の毎日もすべて、大法の要求に応じて按配されたものであって、大法弟子のこの世での現れは歴史に残すためのものです」(『精進要旨二・功能とは何か』) 同修よ、私達は俗世に来て、師を助けて法を正し、衆生を救い済度に来たのではないでしょうか? 早く目を覚ましてください! 法を正すことはすでにここまで歩んできており、更に精進しましょう。三つの事をしっかりと行う中で、衆生を救い済度する中で、大法の神聖さと素晴らしさを本当に体験できれば、心性を昇華することができます。

  今日の法を実証することを通して、私自身この安逸心を掘り出して取り除くことができました。いっそう自分の神聖な使命を明確にして、法を実証し、衆生を救い済度して、ようやく心性が昇華できることを本当に体験できました。なぜならば、私達の修煉はすでに尊師の法を正すことに溶け込んでいるからです!

  不適切な所は、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

  2009年12月14日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/12/6/213670.html

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