日本明慧
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執着を放下し、勇猛精進する(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)

  利益の心を放下する

  修煉を始めた私に、師父は第二の生命をくださいました。師父がいらっしゃらなければ、大法がなければ、今日の私はありません。ですから、大法にとって必要な時、私は商売をやめても、私たちが行うべきことを選びました。最初は資料拠点の仕事に参加しましたが、あまり多く考えていませんでした。ただ大法の修煉の中では、まず自分の利益を犠牲にしても行える人が必要で、全体的に向上して、みんなが自分の責任を担えるようになってから、また自分の商売をやればよいと思いました。

 時間が経つにつれて、手元の貯金も少なくなりました。私は仕方なく、節約を始めました。食べるものがあればよく、着る服があればよいと思っていました。娘は常に、「ママ、これからは人に服をもらわないでね。誰の服でも着るようになるとみっともないよ」と言いました。私は、「これはまだ着れそうよ、新しいのを買うとお金が多くかかるからね」と娘に話しました。娘はそれを聞いて何も言わなくなりました。娘は仕事を始め、もらった給料はすべて私にくれて、ほとんど家庭の生活費に充てました。

 しかし、一部の同修は大金を費やして、自宅の内装を施し、今日はこれを食べ、明日はあれを食べ、また一日中子供と夫をかまってばかりいるのを目にすると、これほど大事な時間を無駄にしていると心が痛み、不平の心も生じました。特に、他の人が新しい家を購入したのを見ると、言い知れぬ気持ちがしました。一番恐れていたのは誰かが私に「家を買ったの?」と聞くことでした。人に言われたくない、名を求める心が常に湧いてきました。また自分のよく知っている人には真相を伝えづらいと感じ、こういう状態はとても長い間消えませんでした。

 ある時、師父が住んでおられた長春の粗末な建物の写真を見たことがあり、すぐに悟りました。師父は粗末な建物に住んでいたからといって、法を伝えることは阻まれず、大法を世界に伝えられました。私はどうして家を持ってないという理由で、世の人々に真相をしっかり伝えられないのでしょうか? これらを考えたら、住宅に執着する心が私からなくなりました。お金に対する執着もだんだん薄くなりました。

 法を正す進展が前へ進むにつれて、2004年後半に明慧ネットで小型の資料拠点をたくさん作ろうという文章が相次ぎ発表されました。私は、「小型の資料拠点が多くできたら、私も正常な生活をしながら修煉できるようになる」と嬉しく思いました。しかし、往々にして多くのことは思い通りにいきません。小型の資料拠点を多く作るためには、コンピュータの技術を教えることや、ほかにもいろいろな作業が必要になったため、前より仕事量が増えました。しかし心の中では、もうすぐ良い日がやってくる、もうしばらく経って、この忙しい時期を乗り越えれば、なんとかなると思いました。この数年間、このような考えが何回も浮かびました。

 私が最も心配したのは、師父の説法の中で、大法弟子は最大限に常人社会の状態に符合しながら修煉するように、とおっしゃったのに、私は大法の仕事で忙しく、常人の中の商売をやめたのです。師父のこのような説法を読むたびに不安を感じ、自分のやり方は法に符合していないのではないかと心配しました。このような不安は、明慧ネットで師父の『明慧ネット10周年法会での説法』が発表され、その中で明慧の同修がもっぱら明慧の仕事をしていて、常人の仕事をしてないことについて師父の回答を読むまで続きました。

 (続く)

  2009年12年16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/2/212033.html

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