執着を放下し、勇猛精進する(二)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)
旧勢力の按排を否定する
大法を修煉して12年になりますが、最大の幸せは、かつては心が狭く他人を責めていたのが、今は心が広くなり、常に他人のために考える人になれたことです。毎日心の底から限りない喜びと大法を修煉する誇りが湧いてきます。
修煉してから、私は一部の同修の協調の仕事を担当しました。最初はどんなことをやっても順調で、同修とのやり取りも非常にスムーズで、心性のトラブルは何もありませんでした。しかし、1、2年経つと、おそらく私を人間として大きくさせ、心性を向上させるためだと思いますが、突然何もかもだめになりました。
執着心が絶えず表面に現れました。勝気で、人に言われたくない性格があり、学法が少なく、毎日大法の仕事で忙しくなると、着実に修煉することと大法の仕事をすることとの関係がうまく対処できず、旧勢力に隙に乗じられてしまい、同修との間に間隔が出てきました。
そのとき、いつも自分は間違っていない、自分はやるべきことをやった、私は悪くないと思い、非常に辛く感じていました。それに、家庭の中で、娘との関係、修煉する母親と修煉しない弟との関係、情と利益のことが絡みあい、その時はまるで天が堕ちてきたような感じでした。すべてのことが私にのしかかって来て、息苦しくなり、どこに行っても辛いことしか私を待っていませんでした。泣こうとしても涙は出なかったのです。私は必ず自分の心性に問題があり、まさに自分が内に向かって修めないことが原因で、決して外に向かって探してはいけない、と言い聞かせました。
なぜなら、師父は韓信が股下をくぐった理を説かれたことがあり、たとえ自分が正しくやったとしても、他人がなにか言えば不愉快に感じることは、修めなければならない執着だからです。常に大法をもって自分を要求し、自分を正していくと、執着もけっこう薄くなりましたが、心の中は常に何かが取り付いていて、息ができないような気がしていました。
問題はどこにあるのでしょうか? 一度同修と交流する中で、私は自分がずっと旧勢力の邪悪な按排の中で修煉していたと分かりました。トラブルの中、どうしても誰が正しいのか、誰が間違っているのかをはっきりさせなければ、怒りが湧いてきたのです。旧勢力はまさに私たちが長い輪廻をする中での因縁関係を利用して、大法弟子の法に対する認識不足の隙に乗じました。あれらは自分たちがやりたいことを行い、宇宙の真の法理に符合しない邪悪な按排をしました。
その目的は私たちが大法に同化できないようにさせることです。「高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内へ向かって修煉せず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです。この二つが原因です」(『転法輪』)ここまで思いつくと、私を息苦しくさせ、わけが分からなかったすべてが一瞬に解体し、心の中が明るくなり、心地よい気分は言葉で表すことができませんでした。
振り返ってみると、以前のように同修と家族に対して不平をこぼし、不満を覚えることがなくなりました。逆に、邪悪な迫害の中で、確固たる意志を持って、歩んできた大法弟子を皆それぞれに尊敬できたとき、すべてが良い方へ変わりました。
(続く)
2009年12月17日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/2/212033.html)
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