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執着を放下し、勇猛精進する(三)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)

 共に向上する

 十数年の修煉の中、私の心性は絶えず昇華されてきましたが、心の深いところにはまだ察知しにくい自我に対する執着、他人を変えようとする心、名を求める心、仕返しを求める心、人に言われたくない心などがありました。師父はこれらの執着を取り除くための機会をすべて按配してくださいました。

 ある同修は、家族の同修が不法に監禁されて迫害されていたため、情に動かされて、落ち着くことができず、常に不安を感じ、気性が激しく、他人の言葉はまったく聞き入れませんでした。そして、心を静めて学法することはさらにできませんでした。周りの同修は、彼女のこのような状態を目にして焦っていましたが、自分に彼女を受け入れる条件が備わっていても、敢えて彼女を受け入れませんでした。彼女は二転三転して私のところに来て、私と一緒に住みたいと言いました。当時、私は40平方メートルにも満たない家へ引越していて、すでに3人が住んでいたため、部屋の中はぎっしりしていました。そして、私は何も考えずに彼女に無理だと答えました。しかし、再び考えてみたら、「私がこのことに会ったのは偶然ではない。しかも同修はいま困難な時で、私たちの助けを必要としている。同修は今こういう状態であっても、しばらく調整すれば良くなるはずだ。また一緒に住めば集団勉強もできるのではないか」と思いつき、同修の一緒に住みたいという要求を受入れました。

 最初は同修が私たちと一時的に住んでから、学法しながら、大法の仕事をする計画でした。同修が安心して学法できるように、私は彼女の仕事を助けてあげ、またなるべく彼女と法理に基づいて交流し、彼女が落ち着いて、心を静めて学法できるように望んでいました。こうして、忙しい2ヶ月が経ちました。しかし、意外に同修は、まったく落ち着くことができず、毎日あちらこちらを走り回っていて、また外で他の同修と心性の関を乗り越えられないようになると帰ってから不満をこぼし、学法することはできませんでした。そのような事で、私は彼女のために焦ると共に失望しました。

 ある日、頭に『洪吟(二)・法正乾坤』の中の法が浮かんできました。「慈悲は能く天地の春を溶かし」 私は直ちに分かりました。師父は私の心が穏やかでないことをみて、容量を広くすべだと悟らせてくださっていると。

 彼女はこのままだといけない、どうしたら彼女のこの状態を変えることができるのでしょうか? 一度、彼女は私にある仕事を頼みました。私はやる必要がないと思い、自分の考えを彼女に伝えましたが、彼女はカンカンに怒り、自分が難にあっているのに私が彼女をからかっていると言いました。当時、私はとても辛く感じました。以前、彼女は私と忘れられない心性のトラブルがありましたが、彼女が泊まる所がない時、私は彼女を受け入れたのに、彼女は他人のために考えないばかりか、また私が彼女の言う通りにするよう要求しています。少しでも自分の考え通りにいかないと彼女は怒り、また良くない言葉を口にします。当時、私は心中穏やかではなく、心性を守ることができませんでした。後になって師父の教えを考えるととても悔しく感じました。翌日、同修は何も言わず、自分の荷物を持って去って行きました。私は、同修はもう帰ってこないと思い、さらにとても悔しく思いました。その次の日に、同修は帰ってきました。少し安心し、これから何が起きても必ず心性を守るようにと自分に言い聞かせました。

 その後、また似たようなことが2回起きました。「しかし、往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと煉功の効果が上がらず、向上につながりません。」(『転法輪』)同修は戻ってきましたが、数日だけ泊まってから、「居場所を探してここを出る」と言いました。彼女のその態度を見ると私はまた不平の心が生じてきました。この時、私はこの不平の念をとらえて、絶えず取り除きました。翌日、同修は学法もせず、自分が執着していることを私にさせようとしましたが、私は拒否しました。彼女はカンカンに怒り、悪口を言いました。いま振り返ってみると確かに私の執着に向かってきたことでした。当時、私は魔性を制御することができず、それが頭に湧いてきて、頭全体がはり、彼女の言葉の一つ一つは私の心を刺していて、私のすべての神経を刺激していました。私は座禅して、結跏趺坐をし、今日はどうしても彼女に動じられてはいけない、と決意しました。外に向かって探す心をなくし、今日のことは私のためにやってきたと思い、なるべく自分の悪い物質と同修を制御している黒い手と卑しい鬼を取り除きました。最後に私を怒らせようとする物質をすべて取り除くと、心身とも言葉で表せない軽快さを感じ、私はまるっきり違う人に変わりました。事後、同修は何もなかったような様子でした。私たちは一緒に交流するとき、私は先に自分の不足を探し、また穏やかに同修が意識できていない執着を言いました。同修は、この間、情に動かされてとても理知を失っていて、自分でも意識できてない執着があり、皆さんに迷惑をかけました、と言いました。最初は同修を助けようと思っていたのですが、実際は師父が彼女を按配して、私たちが互いに向上するようにさせていたのです。

 このことを通じて、私は深く感じました。「本当の劫難に直面した時、あるいは関門を乗り越える時に、試してみてください。耐え難いものを耐えてみてください。乗り越えられそうもないと見えても、行ない難いと言われても、本当にできるかどうか試しにやってみてください。もし本当にやり遂げられれば、きっと「柳暗(リュウアン) 花明(ファミン) 又(ユウ) 一(イー)村(チュウン)」というように、眼前に新たな世界が開けることに気づくに違いありません。」(『転法輪』)

 (続く)

 2009年12月18日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/2/212033.html

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