日本明慧
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人生を追求する執着を無くす


文/中国大法弟子

(明慧日本)長い間、夫を選んだことをずっと後悔していました。夫はもともと自分の好きなタイプではないため、私は修煉してから人にやさしくすべきだと思って、夫に対して殴られても罵られてもし返さないようしていますが、心が釈然できずなんとなく夫のことが好きになれませんでした。周りにも私のような女性同修がいて、彼女の旦那さんは人柄がよいものの収入だけが少なく、こうして彼女も忙しく働かなければならなくなりました。そして彼女は「若い時は頭が悪かったわ、このような貧乏人と結婚してしまって」と愚痴をこぼし、自分が正しく選択していないときがありました。

 同修との接触中に、人生に対して執着を持つ同修が結構いることに気づきました。若い同修は、自分の人生が長いから理想に向けて努力しなければならないと思い、中年の同修はすごしてきた人生に未練を感じています。例を挙げて説明します。ある50代の女性同修がいます。この人は若い時に気高くて優れていましたが、ごく普通な労働者の嫁になりました。心にはずっと不満がありました。その後修煉していることが理由で迫害を受けました。これが直接な原因になって離婚しました。しかし、今になっても未だに自分の選択が間違ってよい婚姻ができなかったと後悔しています。さらに誰々と結婚すればよかったのにと残念に思っています。これは実に執着心であり、このようなケースは周りの同修の間によく見られます。

 私も似たようなことがありました。私も昔自分の好きな人を拒否して、今の夫を選択しました。だから一旦夫と何かがあると、或いは夫の欠点を見たらすぐ残念の気持ちになり、昔もし誰々の嫁になったらこんなことが絶対起きないとついつい考えてしまいます。

 婚姻だけではなく、仕事や住宅、収入などさまざまの面で似たような現象があります。ある同修は大学卒業して、よい会社に内定をもらったものの、法輪功を修煉していることを理由に学校側が卒業証書を与えず、この会社の仕事を失いました。いまこの同修が外でアルバイトしながら、失った仕事に対して非常に残念に思っています。

 一方人生が今からスタートする若い人の場合、やはりいろいろ執着しています。独身の人は自分が要求する条件が整えていて、しかも精進する同修を探したがっています。苦労して人間の幸せを求めています。

 人間の物を失いたくないし、同時に神の物も欲しい、これは可能でしょうか。神が創ったこの空間は、幸せに暮らせるためではなく、人に苦しい環境の中で返本帰真させるためにあるのです。だから如何に幸福を追求しても意に適わないことがあります。人間の幸福を放下して、自分の人生の目標を放下して始めて真の幸福が得られます。

 個人的な体験であり、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 2009年12月19日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/12/11/214217p.html

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