師父にしっかりと付いていく(三)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)
三、花が咲きわたるように、資料拠点を新設
2007年夏、私の給料は大幅に増えたので、同修の家を出て、会社の近くにある借家に引っ越しました。同修の家と遠くになったので、毎週一回だけ週刊を取りに行く時、一緒に学法と交流をしました。一人の時は、怠けがちになりました。ですから、私は家の近くで学法チームを見つけたかったのです。さらに、私たちに資料を提供してくれる資料担当者は、たくさんの地区を分担しているため、手に入れる資料はとても限られていて、毎回足りなくなってしまいます。心の中で焦り、衆生を救い済度することが切迫していると感じました。もし自分にも資料を作ることができたらいいのにと思いました。自分で作って、自分で資料を提供すれば、同修の作業を分担することができます。
毎回、仕事のついでに電気売り場に寄りましたが、パソコンに印刷機を足したら、私がアルバイトをして貯めた半年分のお金がかかってしまいます。すぐにはとうてい出せないのです。私は戸惑ってしまいましたが、師父は私の資料を作りたいという願望をかなえてくださいました。まもなく私は地元の同修と連絡が取れ、協調人が私の身分を確認した後、私にノートパソコンと印刷機を送ってくれました。私が求めていた機器が目の前に現れた時、私は心底から、すべてを知り尽くしておられる師父に感謝しました。そして「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)をもっと深く実感できました。実際には、見た目にはあり得ないようなことでも、大法弟子の心が法から離れていなければ、師父は不可能を可能にしてくださるのです。
それから同修・甲さんが私に操作技術を教えてくれました。甲さんと学法チームを組み、地元の他の同修のことも知り、全体に溶け込むことができました。自分の修煉の段階が一層上に登ったと感じ、責任もさらに重くなりました。資料を作る過程は確実に修煉する過程でもあります。実際に作っていく中で、すぐ最初に現れた顕示心や自己満足などの心をなくすことができました。資料を作ることは、ただ私が大法の中の一粒として発揮すべき作用と責任を果たしているだけです。さらに、衆生を済度することは大法弟子全体が協調して行うべきだと悟りました。明慧関係の同修が文章を編集し、大陸の同修が掲載した文章を印刷して、同修の手に届けて、最後に真相として衆生にいきわたる過程は、どこが欠けても衆生を済度することになりません。だから、すべての同修が今日、行っているすべての法を証することは、全体を円融し、自分を修煉することになります。
四、責任を果たして邪悪を取り除く
2004年12月、私がいる都市及び周辺地区で、大法弟子が大規模に逮捕され、迫害された事件が起こりました。その時、同修たちはそれぞれに危険を感じ、衆生済度にたくさんの障碍をもたらしました。逮捕された大法弟子の中に、私を手助けしてくれた協調人もいました。彼女を知っていたため、私は非常に彼女の状況を心配しました。もちろん、これも一種の人心です。知る、知らないは関係ないはずです。大法弟子は一つの全体を成しており、一人の大法弟子に対する迫害は全体の大法弟子に対する迫害であり、絶対に認めてはなりません。
しかし、同修が迫害されていることが明慧ネットで暴かれても、見ているだけで、なかなか救助する活動が行われません。私は同修・甲さんと交流をしたとき、彼女の状態はよくないと気付きました。人の理で言えば、協調人は甲さんと仲が良かったため、甲さんのプレッシャーが大きかったのです。私は邪悪の迫害を地元の民衆に暴露し、真相を伝えるべきと考えましたが、甲さんはプレッシャーのため、私に付き合えなかったのです。私は自分一人でもやろうと思いました。そして、私は迫害に加担した収容所に真相の手紙を書こうと思いました。実際に書きはじめたら、邪悪の妨害が大きかったのです。
最初はどう書いたらよいか分からないため、明慧ネットの文章を参考にして書きました。何回も直しながら、完璧にしようとしたのですが、自分の能力に限界があり、うまくできませんでした。焦ってしまい、また邪悪に隙に突け入れられてしまいました。私が半分ほどパソコンに入力したところで、何かのキーに指が触れてしまい、苦労して整理した文書が一気に消されてしまいました。その時、私は本当にあきらめかけました。やはり能力のある同修にやってもらった方がいいと思いました。それから私は買い物に出かけ、戻って来た時には少し頭がすっきりしました。迫害されている同修のことを考えて、やはりあきらめてはいけないと思いました。そして、さっきの記憶と師父の加持で、市民と警察を対象に善を呼びかける手紙を完成しました。
私は完成した文書を甲さんに渡し、修正とレイアウトをしてもらうつもりでした。しかし、この時は迫害から一週間も過ぎてしまいました。甲さんに急いでレイアウトを終わらせるように頼みましたが、後日、私が甲さんのところに駆けつけたところ、甲さんはレイアウトをしていなかったのです。私は時間を無駄にしたと不満を持ちました。家に帰り、これは自分の執着心を、邪悪に見つけられたのではないかと気づきました。私は自分でレイアウトをしようとしました。失敗を繰り返すばかりで、全然だめでした。しかしその時、私はまたどこかのキーに触れてしまったのです。そして、そのことでパソコンの中の文書は奇跡のようにレイアウトができあがりました。私は再び大法と師父の素晴らしさを実感しました。
私は印刷された文章を地元の市長や司法部及び同修の逮捕に加担した収容所に発送しました。そして、同修と逮捕された同修の家の近くに1000枚近く配布しました。参加した同修が少なかったため、多く配ることはできませんでした。この期間中、他の救助活動も行われました。このような過程で、私は当地の事例を報道して、邪悪を暴くことは衆生を済度するのに良いと思いました。ちょうど私が資料を配布した道で、ある常人がほほ笑みながら資料を読んでいるのを見て、私はやったことは無駄ではなかったと思いました。
(続く)
(明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
2009年12月21日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/13/212219.html)
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