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神通力を習慣づけることを重視する


文/中国の大法弟子・敬天さん

(明慧日本)2009年10月3日に掲載された大連の大法弟子が書いたある体験談を読みました。続けて3人の大法弟子の、佛法神通を使った体験談を読み、たくさんの事を教えられ元気づけられました。これらの同修は、師や法を信じる心がとても強いのです。法理を深く学び思考は清らかで、自由自在に神通力を運用し、とてもよい効果を収めています。

 私は年寄りの大法弟子です。法を深く学んでおらず、修煉もよくできていません。苦心して加護していただいている師父に合わせる顔がありません。しかし、中共のひどい迫害の中で、大法弟子はそれぞれ違う次元の功能を発揮し、邪悪を取り除き、大法を実証し、衆生を救い済度することに使うべきだと深く感じ取りました。ですから毎回、大法弟子が連行され、迫害を受けた報道を読んで、心がとても痛みます。

 師父が2001年4月24日に発表された経文『大法弟子の正念は威力あるものである』、続けて『功能とはなにか』、『正念の作用』で、さらに多くのことを説いてくださいました。特に2002年10月13日に発表された『正念』です。その中で、この特別な歴史時期に「損失を減らし、衆生を済度するために、大法弟子の強大な正念を発しましょう! 皆さんの威徳を表しましょう!」と私達におっしゃいました。2004年2月15日に師父はまた『正念をもって悪事を制止する』を発表され、「各種の迫害の中で、迫害を制止するために、正念を駆使して逆に悪人を懲罰することができます」と私たちを指導してくださいました。「しかしその前提は、皆さんの正念が強く、恐れる心がなく、常人の執着や心配と恨みの心がないことであり、その状態ではとても効果的です。正念が出れば、直ちに効果が見られます。正念を発する過程で、驚かず恐れず、悪人の暴行が止まらない限り、正念を発しつづけます」 大法弟子が来た次元は非常に高く、また宇宙の根本的な大法を修煉しているので、次元を突破するのは比較的に早いのです。この数年、師父が法を正される過程についていき、努力して三つのことをしっかり行っています。まして功能は、修煉過程の副産物であり、だから大法弟子はみな強力な能力を持っています。

 それでは、なぜ多くの同修は私と同じように功能はあるのに、使い方がわからないのでしょう? 私の考えでは、(一)法理をはっきりと分かっていないことです。師父はすでに私たちを指導してくださりました「心性の高さは功の高さ」「次元が高いほど功力が大きく、功能が強いわけです」(『転法輪』)しかし、いつも功能に執着して極端に走りがちだと恐れ、同修と功能について交流する勇気はありません。ただ学法グループと集団で発正念するときに気付かせ、同修と一緒に真相資料を配るときに発正念して保護するだけです。現在は私たちが法をしっかりと学び、心性を向上させ、自分をしっかりと修めることを第一におけば、極端に走る心配はありません。自分自身が持っている効能を使用することと、法から離れ単純に功能を追及することとは完全に異なるのです。(二)常人の観念による妨害です。非常に長い輪廻の過程で、本性を忘れています。特に、中共邪党の長年の党文化の害毒のもとで、人の観念はひどく変異し、深く迷い、師を信じ、法を信じることに対する思いが不安定です。しばしば自信の無さから、神通力を信じ使用することができません。(三)神通力を使用する過程で、使い方が分かるようになり、熟練するようになることです。普段は、神通力を使うことを意識していません。同修の体験談で紹介されたように「法を実証する日々、四六時中どこでもどんな時でも、佛法神通を念じています」これこそ神がもたらした表現です。

 正法はすでに最終段階に突入しています。大法弟子は神のことを行うべき時です。正しくしっかりと最後まで歩み、よりしっかりと三つのことを行うために、私たちは日常の修煉や仕事・生活の中で、神通力を利用する習慣をつけることを重視し、私たちの正念がますます強くなり、能力がますます大きくなることを望んでいます。

 次元に限りがあり、間違っているところはご指摘をお願いします。

 2009年12月21日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/10/29/211308.html

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