■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/12/22/mh240253.html 



師父のご加護の下で修煉する(一)

文/北京の大法弟子

(明慧日本)私は師父のご加護のもとで修煉した体験を同修の皆さんと分かち合いたいと思います。

  一、幸運にも修煉を始める

 何回かの書面交流会にも、自分自身がためらい、恐怖心に駆られて書くことができませんでした。私心を抱えていたからでした。交流もまた法を実証することであり、絶えず師父と大法の要求に従って自分を正す過程で、さらに心を整理してさらなる衆生を済度することでもあると認識しました。

 次に、私が修煉の中で、師父のご加護のもとで心性の向上と奇跡を体験したことを話し、師父への感謝と大法から生まれ変わった殊勝な気持ちを述べたいと思います。

 私は1995年8月から修煉を始めました。私は10歳の時にある占いに自分の運命を言われました。その人は、私の人生の59歳までを述べたところで、59歳以降の事を言わなくなりました。その時から、私は59歳で終わるのだろうと思いました。それからの人生で、肺結核や腰椎と頸椎の骨増殖症により身体が曲らず、首が動かなくなり、6歳のときの中耳炎による鼓膜貫通などの病気はずっと怖がりませんでした。どうせ59歳で終わると思ったからです。

  しかし59歳になった1995年、私は睾丸腫瘍に罹りました。いつも痛くてたまらず、自分が59歳で終わるのだと思っても死にたくなかったのです。完治の希望がなく、楽天的な私も落ち込みました。5月に、同級生に誘われて、新商品の開発に参加して、吉林市に行きました。当時、自分の身体状況が良くないものの、家にこもってもしようがないと思いました。同級生と先方の取引先に迷惑をかけないように、もしなにかあったらすぐに戻ろうと考えました。

  ある日の朝5時過ぎ、同級生の自転車に乗って一緒に江南公園を散歩しました。当時、いろいろな気功が乱立しており、私は全然興味がなかったのですが、気の向くままに林の中を歩いた私は突然、非常に優美なメロディに惹かれました。そこで重い気持ちが飛んでいき、よく見たら数十人が煉功していることが分かりました。今までにない軽快感が湧いてきて、私もまねて動きました。この時にある中年の人が近づいて、話をしてくれました。この人は親切で、落ち着いた印象がとても強かったのです。その日から、私は法輪大法の修煉を始めました。

 二、絶えず浄化され、業を消していただいた

 『法輪功』をいただいたあと、数十年来の知恵が開きました。少年時代にあった頭の中の天国世界も浮かんできて、修煉のことも分かりました。1週間後、身体が急に今までにない軽快感が現れ、腫瘍も骨増殖症も消えました。顔色が良くなった私に周りの人はびっくりしました。1995年8月、私の大きい変化を見た妻も修煉の道に入りました。

 しばらくして、『転法輪』の本が出版されました。それから同修達とずっと法の中で修煉し、修煉者にしか感じられない事をたくさん体感しました。法輪が両腕の間と身体の中を回り、卯酉周天の運行や、座禅の時に元神が上に上がり、老眼鏡も要らなくなり、食べ物は冷たくても熱くても駄目だったのに、今は何ともなくなり、名利に淡泊になり、心も広くなりました。

 自分がよく行わなかったために現れた「病」(例えば熱、下痢)は、修煉前の普通の病気と違います。以前熱がある時は頭が痛くてめまいがし、寝たりして薬を飲んで1週間ほどかかりましたが、今は普通に出勤して、食事も影響されず2、3日で治るのです。もちろんこの時に、自分の何が悪かったかを内に向かって探します。

 ある日、自分の心性が悪かったため出張先で「病業」が現れました。夜に寮で熱が出て、体中寒く感じ、さらに無数の針に刺されたように痛く、1人で寝こんで、水さえ飲む力がありませんでした。しかし、翌日になったら、通常のように出勤して、無事に1日を過ごしました。今回の病業は、最初から分かっていました。それは、自分に私利私欲があり、取引相手と経営者の利益を考慮しないなど、修煉者としてあってはならないことからでした。

 もう一回は命に関わる体験です。ある日、私は若い人と2人で、工場内で測量をしていた時、私が立って前に進もうとした途端、「火の用心」の看板のとがった角にぶつかって、左目の近くに大きな痛みを感じました。その時に、私と同じような「私」が地面に倒れて、「師父、助けてください! 私は大丈夫です」と叫んでいる光景を見ました。それと同時に現実の私も同じ事を心の中で言っていました。この一瞬、若い人が慌てて来て、流血を見て、私にティッシュを渡しながら「抑えて! 工場長に車の手配をおねがいするから、病院に行こう」と話しました。私はすぐに「大丈夫、大丈夫、行かなくてもいいですよ」と言いました。ティッシュを替えると、大分血が少なくなりました。若者はとても不思議がり、なぜ血が流れなくなったのか? と驚愕しました。当時、私の頭の中にもう1人の私が倒れたことを考えて、やはり師父に加護していただいたのだと悟りました。

 上記の事を通して、師父の慈悲と法力を切に感じました。二つのことは共に人が少ない時に発生したので、大きい騒ぎを起こさずに済み、心性も向上し、自分の命の借りも返しました・・・。師父へのご恩は言葉でいくら述べても表しきれません!

 (続く)

  2009年12月22日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/12/12/214107.html

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