「真・善・忍」に同化した一粒子となる(一)
文/河北省の大法弟子
(明慧日本)尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!
私は法輪大法を修煉して11年になりました。修煉によって得たものは多くありますが、今思うと、どれも法の要求と程遠いものでした。関門を乗り越える際、また、心性を向上させる過程で、多くの不足を見つけました。自分がよくやったと思うときでさえ、法に照らしてみれば、取り除くべき執着心と常人の考えがまだ残っていました。自分の修煉してきたことを振り返ってみると、正に人の執着心を取り除く過程でした。師父が植えつけてくださった機制が身体で働いているのを実感できたとき、「修は己にありて、功は師にあり」の法理を実感できました。『転法輪』を数えきれないほど読んできましたが、読めば読むほど法理の博大さと奥深さを感じ、大法の神秘を口では言い表すことができません。
修煉していく中で、苦しみや難儀や喜びがあり、最も多く感じたのは幸運でした。世の中のいかなるものを持ってしても修煉と交換することはできません。人はお金を持っていてもいなくても、生老病死から逃れることができず、民主国家にいる人さえ同じです。まして独裁政権下で生きる人なら、苦しみや恐怖はもっと多く持っているはずで、さらに人生に迷うでしょう。こういうときこそ、もし大法を得ることができ、人生の真の意味が返本帰真だということや、各自が持っている使命などが分かれば、これに比べられるものがまだほかにあるのでしょうか?
大法を学んで自身の使命を理解する
私は1998年の末から法輪大法の修煉を始めました。大法の素晴らしさを知った私は、最初は大法から良いものを得ようとばかり考えていましたが、修煉していくにつれ「修煉」の真の意味が分かりました。修煉者は常に他人の立場に立って考えるべきです。こうすると、周りの人も私の変化に気づき始め、それでも、私は法の要求とはかなりの差があることが分かっていました。なぜかと言うと、いつも何らかの目的を達成するためにやってきたので、言い換えればそれは執着心のためでした。これは根本的な執着ではありませんか? 法に照らして行うことがいかに重要なことかを実感しました。
1999年4月になると、私の修煉は半年経ちました。その時期、私は多くの大法弟子が北京へ陳情しに行ったことを知らず、そのとき、正法についてよく理解できませんでした。当時、私は会ったすべての人に「『法輪大法は素晴らしい』、天津の警察が多くの法輪功修煉者を逮捕した背景は、法輪功を中国から消したい人が操ったからです。しばらくすると、釈放されますよ!『真・善・忍』が悪いと言う人がいるでしょうか? 彼らは天罰を受けるのではありませんか」と言いました。しかし、私の願いは1999年7月から中国共産党の法輪功への弾圧によって無残にも砕かれました。弾圧以後、多くの『真・善・忍』に従って良い人間になろうとする修煉者が逮捕され、日常的に100種類以上の拷問を受け、10年も続いてきた迫害を、未だにやっています。それでも、師父は加害者たちに非を認識して改める機会を与え続けておられます。
こんな残酷な弾圧を前にして、家族は私と他人との接触を反対し、「外で真相を説明するのをよせ!」と言いました。大法修煉の恩恵を受けた者として、私は自身の身に起きたことをありのままに、でっちあげや嘘の宣伝に騙された人々に教えるべきだと思いました。あの時、私はいつも人と向き合って真相を伝え、「大法は素晴らしいです。私の健康な身体は何よりの良い証拠です。大法は修煉者にどこにいても他人のために思い、何かあったら己の心を修め、他人を妬まず、しかも悪口を言わず、他人に寛容に接するようにと要求しています」などと話しました。聞いた人はほとんど大法の良さを認めました。後になって、法輪功修煉者は『天安門焼身自殺』の濡れ衣を着せられ、毎日マスコミが報道し、中国の民衆を騙しながら、法輪功への怒りを煽りました。私は一方で人に事件の真相を話して虚言を暴露し、同時に真相の手紙を書いて縁のある人に出し、また綺麗な封筒に入れておいて、毎日3通から9通を出かけるたびに携帯し、縁のある人に出会うと渡しました。これらのことをすることは、執着心を一つ一つ取り除いていく過程となり、正念をより強くする過程でもありました。もっと後になって、同修から明慧の資料、真相DVDをもらえるようになり、さらに真相伝えの力を強めました。
あるお婆さんは大法のDVDを見つけて私にくれました。これは本当に嬉しかったのです。それ以来、私は同修が師父の説法を読めるように大法の本を製作し、文字を改める時、文字を印刷して配りました。ある2人の年配の同修は修煉にとても精進しており、熱心に同修を助け、知っている同修の中から誰が何を必要としているかを、すぐ私に教え、私は製作してあげて、全体を円融していきました。
2003年から、私は学法グループに入り、勉強に行くたびに、同修のところから大法の何らかの関連資料をもらえないかと期待しました。当時の私は明慧ネットに1人で入ることができず、特に、師父の新経文はすべて同修から受け取りました。資料拠点がよく破壊されていることを聞き、同修たちは迫害されるべきでないのに、迫害を受けていると思い、我々の資料拠点を立ち上げようと周りの同修と相談しました。そうすれば、同修たちの負担を減らすことができると思いました。
私達はパソコンの知識が全くないため、助けてもらえる同修を探していました。ある年配の同修は熱心に昼夜を問わず探し、ネットの封鎖を突破できるソフトを入手できました。自分達で明慧ネットに繋ごうとしましたが、どうしてもファイヤウォールやウィルスを駆使するソフトをインストールできず、ネットが利用できませんでした。後に同修の助けにより、明慧ネットを利用することができました。
初めて明慧ネットに繋がったとき、至上の幸せを感じました。師父の写真(世間を静観する)を見て、師父は衆生のため弟子のために、想像を絶する苦しみに耐えておられると思うと、涙が幾度となくあふれました。弟子としてやるべきことを良くやらない理由があるでしょうか? 明慧ネットは大法弟子の家だと思い、師父の経文がここで発表され、すべての大法書籍が載っており、世界の大法弟子の新しい情報も載っており、修煉関連の交流文章もあることが分かりました。
ネットから文章の印刷ができるようになると、私はより良いプリンタが欲しくなりました。ある店に入り、スキャン、印刷、ファクスの三つの機能を一体化したものを見つけ、尋ねると3000元かかると分かり、買おうと決めました。以前にもプリンタ、スキャナーを買いましたが、理想的ではありませんでした。昔の古いタイプのプリンタも需要に追いつかないので、翌日、私は早速買いに行きました。私の知り合いの同修はすべて年配者で、分かる同修もいないため、機種について同修と相談もなく買いました。使用方法は店員からの簡単な説明に頼って、1人住まいの母の家に持ち帰り、夕食後、師父の新経文を大量に印刷しました。自分の努力によりでき上がった『2004年復活祭ニューヨーク法会での説法』の師父の新経文を見ると、感無量でした。私の周りの同修に一部ずつ配りました。長い間、私がどのようにして印刷できたのかを知る人はいませんでした。
パソコンの基本知識の勉強から印刷ができるまで、どれほど昼夜を問わず努力したか分かりません。わずかな睡眠時間しか取らず、修煉していない家族にも知られないようにやり、食事をすることも忘れ、冬の季節なのに、忙しくて全身汗だくになり、しかし、楽しくて仕方ないほどやっていました。これで、同修への負担を減らすことができたため、同修の学法や煉功の時間があるようになり、自分の責任を負うこともでき、同修の助けにもなり、これ以上の喜びはありませんでした。師父に感謝いたします! 大法に感謝いたします!
1週間毎に1回『転法輪』と他の経文を読んでいます。これは11年の間、自身に要求し続けてきたことです。これが、私が今日まで平穏に修煉をやってきた保証でもあります。修煉の過程で心性への試練は常に伴いますが、そのときは、名・利・情へ執着しているときなので、こういうときこそ、心を静め、法を勉強すれば、徐々に心が清らかになり、容量も大きくなります。すると、真相伝えにしても資料作りにしても同修と協力し合うことにしても、すべては順調になります。心に余裕があれば物事を上手く運ぶことができる、正にその通りだと思います。
法を勉強していくにつれて、大法の各次元の法理が私の前に現れてきました。自分をよく修煉することが目的ではなく、私達が師父の正法に力を注ぐことが真の目的です。個人修煉は単に真相を伝えて衆生を救い済度するための基礎作りにすぎず、この基礎の良し悪しは、直接に迫害の真相をしっかりと伝えたか、毒害された衆生を救い済度できるかにかかってきます。師父は多くの命を救い出して、各次元の宇宙に不滅を円融していきたいので、弟子として必ず師父の言われた通りに歩んでいくべきだと悟りました。私達は師父に随って法を正すと言いますが、実際は師父が全宇宙のすべての命を救われました。
私達は三つのことをしっかりと行うのは、自身のためにやっているのです。私達が難しく感じるとき、理解してもらえない人から不公平な態度を取られたとき、同修と意見が食い違ったとき、心性を向上し執着を放棄させる多くの難儀に遭うとき、私達は涙を流しながら何を考えていたのでしょうか? 師父が私達を見守っていらっしゃらないと思ったのでしょうか? それは小道を修める考えです。私達はやっているすべては自分のためにやっているのではありませんか? 私達の世界にいる衆生に私達自身が責任を持つべきではありませんか? 衆生を救ってこそ、大円満となります。衆生を救えなければ、自分の世界は欠けてしまうではありませんか? 師父は私達に真相を伝えさせ、衆生を救い済度させるのは私達すべての大法弟子が円満成就してほしいと願っておられるからではありませんか? 1億の大法弟子は70億の衆生に対して、中のごくわずかに救えない人を除いて、多くの人は私達の真相を伝えることによって救い済度することができるのではありませんか? 正に責任は重大なことです! 師父が私達にあれほど大きな威徳を下さり、私達は多くの命が救われるように行動して、先史の誓いを果たさなければなりません。これこそ、私達がこの世に生まれてきた真の目的だと認識しました。
弟子としての私は、必ず師父の要求されたとおりにしっかりと行い、己をよく修め、多くの人を救い、旧勢力の按排を全面的に否定し、合格できる正法時期の大法弟子になります。真相を説明していく中で、命が救われたとき、法の現われを感じ、自分の世界も円満に向かっていくと分かりました。
『共産党についての九つの論評』が発表された後、私はDVDに製作し、包装して真相を伝えた人にあげ、一緒に見ました。ある知識人がDVDを見た後、「今度こそ、共産党の退路はありません! 本質まで書き出されてしまったからね。これは一般のレベルで作れない作品ですよ!」と感無量で言いました。
(続く)
(明慧ネット第6回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
2009年12月24日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/20/212813.html)
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