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同修の逝去から修煉の厳粛性を見る(三)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)現地では、同修のAさんが長い間病業の関を乗り越えられなかったことに私たちは気づかず、発正念しようとしませんでした。実際、Aさんが私たちに言えなかったのは、私たちの全体に不足があるからです。多くの同修は多かれ少なかれ彼女に対してわだかまりを持ち、慈悲を持って接することができませんでした。間違いを起こした同修、間違った道を歩んだことのある同修に対して冷たく接していました。

 最近、同修が書いた体験文章を読み、その中の一言が私に大きな衝撃を与えました。「私は、ただ彼女が地球に来る以前の姿と彼女が主催する天体の衆生だけを考え、お互いの隙間をなくすよう努力します」 師父はスパイも済度するとおっしゃいましたのに、私たちはまして私たちの同修を受け入れることができないでしょうか? これほど度量がなければ、どうやって最大限に衆生を救い済度することができるでしょうか?

 実際、Aさんが入院したことを知っている同修がいました。Aさんの家族に、見舞いに行きたいと言ったら拒否されたため、行きませんでした。もう1人の同修もこのことを聞いていましたが、気にしませんでした。この出来事で、生じた念が不純で、常人の家族の反応を気にし、その家族に真相を伝え、彼らを救い済度することができませんでした。出来事が起こったとき、真相を伝えないとすれば、いつ伝えるのでしょうか?(もちろん、真相を伝えることは必ず理知をもって、相手の受入能力を配慮しないといけません。そうしないと逆効果を招いてしまいます。)

 このことが発生した後、私たちは自分たちと周りの反応を見てみました。驚いている人、疑う人、この情報を広める人、議論する人もいれば、悲しく思い、惜しく思う人もいました。同修よ、心を静め、意味のない推測を広めることをやめましょう。彼女はかつて私たちの同修であり、私たちはこの世界にやってくるとき幾千幾万人も一緒に来ました。しかし、終わって帰るときもみんな一緒に帰れないことは、私たち大法弟子の損失ではないでしょうか? 衆生の損失ではないでしょうか?

 私たちの地区では数人の同修がまだ病業に苦しめられているのです。私たちはこのことが彼らにどのような影響を与えるか考えたことがあるでしょうか? また常人にどのような考えをもたらすか考えたことがあるでしょうか? もし、私たちが最近ずっとこのことばかり議論すると、不安定をもたらすことを考えたことがあるでしょうか? 私たちは直ちにこのことから抜け出し、悪いことを良いことに変え、みな修煉においてもっと厳しく自分に要求し、精進し、世間にさらに多くの正だしい、純粋な状態をもたらしましょう。

 以上は浅い認識ですが、不適切な部分については、同修の慈悲なる叱正をお願いします。

 (完)

 2009年12年24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/16/214385.html

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