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修煉の道で一歩一歩、成熟する


文/河北の大法弟子

(明慧日本)私は70歳です。病気を治したいため、大法の修煉を始めました。最初の一日目に師父の説法を聞き、法輪大法は佛を修めるものだと分かりました。これは、ずっと神様を信じている私が求めていたもので、嬉しく思いました。

 1998年8月、大法を修煉し始めてから、私は毎日『転法輪』を読んで、師父の説法テープを聞きました。時々、食事を忘れるほど精進しました。心から修煉したい私のことを見てくださった師父が、私の身体を浄化してくださり、健康を取り戻すことができました。それに加え、心が狭くてすぐに怒る私の性格も直してくださいました。私のそれらの変化を見た家族たちは喜んでくれ、みんな大法を信じるようになりました。

 しかし1999年7.20、中共の法輪功への迫害が始まり、天が崩されたようでした。民生委員会の人は、常に私の家に来て「煉功をやめろ、本を出せ」と私に命令しました。家族たちは恐怖を感じ、特に、中共の迫害を受けたことがあり怖がっている夫は「本を全部あげて、煉功をやめなさい」と言いました。私は、修煉を続けたいけど、どうすればよいのか迷いました。「とりあえず本をあげて、また本を買えばよい」と考えてしまいました。翌日、私はとても後悔しました。師父と大法に悪いことをしたと分かり、悔しくて師父と大法に申し訳ない気持ちがいっぱいでした。偶然にも街で同修と出会い、大泣きしました。同修は「私の家に『転法輪』があります、よかったら持ってきましょうか」と言いました。私は、再び私にとって宝の本を得て、とても嬉しかったのです。その後、同修との連絡も取れて、同修との交流もできるようになりました。

 2000年6月、師父は、『圓満成就に向かって』という経文を発表されました。経文を勉強した後、私と同修は「家から出て大法を広め、大法を実証し、中共の法輪功への弾圧をやめさせるべきだ」と悟りました。私の勤め先に法輪功修煉者を監視する人がいます。その人は私に対して「誰かがあなたに経文を渡したでしょう。出しなさい」と言い、私は「知りません」と答えました。その人はまた、「もし出さないなら、サインしなさい」と言い、私は「書きません」と答えると、彼らは何も言わずに行きました。

 その時期、大法を実証するため大法弟子は絶えず北京に行きました。私は同修と交流して、私も北京へ行く気持ちがありました。2000年12月中旬のある日、私は北京へ行く電車に乗り、「絶対に、自分の心から伝えたいことを叫んで帰る。全国の中国人や全世界の人々に『法輪大法は素晴らしい』『真・善・忍は素晴らしい』と伝えて帰る」と考えました。

 11時ごろ北京の天安門に到着し、東北から来た3人の同修と出会い、彼らが持っている横断幕に私が言いたいことが書いてありました。私たち4人は横断幕を掲げ、心から人々に伝えたい言葉を叫びました。その叫びは、広い宇宙を震撼したと思います。その後、警官が私たちを連行し、パトカーの中で殴られ、天安門近くの派出所に送られました。その派出所には、黒龍江省・甘粛省・江西省・江蘇省から来た大勢の同修が連行されていました。

 翌日、勤め先の人が私を地元に連れ返し、地元の留置場に入れました。留置場の所長は「おまえは自由がなくなったぞ!」と私に言いました。留置場はとても環境が悪く、食事もトイレも部屋で済ませなければなりませんでした。そのとき、もし信念がしっかりしていなければ、心が動じやすくなります。ある日、息子は一人の警官と一緒に私と面会に来ました。警官は「もし、修煉をやめると言うならすぐ家に帰れる」と言いました。私は「言いません。大法と師父を裏切りません。『真・善・忍』を信仰することは間違いではないからです。無罪で釈放すれば、私は帰ります」と答えました。私が帰れないと分かった息子は泣き出しました。私も泣きました。これで私は「情」という一つの関を乗り越えたと思います。私が拘禁されている間に、夫はご飯を食べず、タバコと水だけで過ごし、息子は持病で苦しみ、娘は微熱が続いていたことが、釈放されてからが分かりました。留置場で拘禁されて40日目、勤め先の会社の人と私の家族が私を迎えに来ました。警官は「早く片付けなさい、無罪釈放するよ」と私に向かって大声で言いました。私はびっくりしながら、嬉しくて同じ部屋に拘禁されている人と握手しました。正念を持っている私に、師父がその結果を按排してくださったのだと思います。

 勤め先の人が私を党委員弁公室に連れて行き、「煉功しないこと」「北京へ行かないこと」「集会を行なわないこと」などを書かせようとしましたが、私は何も書かず家に帰りました。師父が「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)、「弟子正念足りれば師は回天の力有り」(『洪吟』(二)師徒の恩)とおっしゃる通りでした。

 師父は私たち大法弟子に三つのことを行い、「三退」を勧めて人を救うようおっしゃっています。私は毎日、真相資料を持って市場に行き、直接に真相を伝え資料を配っています。私の勧めにより毎日5〜6人、ときに10数人以上が「三退」しています。師父は私の人を救いたい心を見て、縁のある人が私の前に現れるよう按排してくださいました。

 2008年、私はほかの地方に引っ越しました。知り合いの同修と離れ、資料をもらうのが不便になったため、自分で資料を作る気持ちになりました。同修の負担を減らし、同修が学法する時間もできるようになると思いました。そして、資料を作る技術がある同修と出会い、同修が資料を作る機械を買ってくれました。同修の熱心な指導で、私は真相資料・週刊・小冊子・『九評共産党』や、お守りなども作れるようになりました。70歳を過ぎ、小学校しか行かなかったお婆さんが、パソコンやプリンタを使えるようになりました。これは全て、師父が私に知恵を与えてくださったからです。大法のためなら、人を救うためなら、私はずっとやり続けていこうと思っています。時々、恐怖心も現れますが、師父と大法を思うと信念が固まります。私はもっと精進したく、修煉の道をしっかりと歩みたいのです。師父にご心配をかけないように一歩一歩、成熟していきたいのです。

 以上、私の修煉体験ですが、同修の慈悲にご指摘をお願いします。

 2009年12月28日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/12/12/214105.html

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