神韻公演の活動を通して衆生を救い、同時に自分を高める(三) 文/日本の大法弟子
(明慧日本)
慈悲をもって真相を伝え、縁のある人に出会う
神韻公演の準備過程は個人の修煉過程であり、衆生を救う過程でもあります。衆生が救われるためには、神韻を宣伝して真相を伝える過程で、慈悲の心で行わなければなりません。こうすることによって世俗の人々の心を動かすことができ、感化させることができるのです。そして、真相を理解した人々は自ら神韻を見に来てくれるだけでなく、チケット販売やスポンサー探しなどのボランティアの一員になってくれるのです。
ある日、街でチラシを配布していたとき、一人のお婆ちゃんがチラシを見終えた後、「私の生活費では公演を見る余裕がありません。でもこのような素晴らしい公演を見るためなら、一週間の食事を漬物だけにして、節約したお金で公演を見に行きたいと思います」と話されました。
チケットコールセンターに電話をかけてきた一人の女性は「私はあなた方のチラシを見たとき、私を別世界へ連れて行ってくださると思いましたので、チケットを購入することにしました」と感激した声で話されました。教育に従事している男性は「神韻の説明を受けていたとき、聞こえてくるのはその説明者の声ではなく、天上からの声のようで、私に神韻を必ず見に行くようにと聞こえました」と不思議そうに話していました。このような例は数え切れないほどありました。
同修でもある妻は一人で店を切り盛りしながら、チケットの注文電話を受けなければならず、時間を見つけてはお客さんに神韻を宣伝しなければなりません。妻の説明を聞いた客の多くは神韻の公演を見に来て下さいました。そのうちのある大学教授は神韻の公演を見て感激の涙を流し、拍手をし続けました。さらに不思議なことに、妻は、あるお客さんに神韻を紹介したいとの一念があれば、そのお客さんは数日後に必ず店に食事に来てくれるのです。
私は以上の例から悟ったのですが、これらはすべて縁によるものだと思います。まさに師父がおっしゃったように「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)なのです。私たちが慈悲なる心で衆生を救うことを行えば、ある程度のレベルで行えば、師父が縁のある人を連れて来られるのです。
神韻の準備活動を通して、自分の心性が早く向上することができました。神韻公演の終了後も自分を緩めることなく、毎日(明慧日本の)翻訳に携わるようになりました。できるだけよく学法し、自分の不足を探しています。今になってますます感じるようになったのですが、「内に向けて探す」ということは、師父が下さった至上の宝であり、天に登る梯子でもあります。内に向けて探せば、多くの法理を悟ることができます。内に向けて探せば、絶えず昇華することができ、大法に同化することができ、円満成就できるのです。
もちろん、神韻の準備過程において、自分の不足も見つけました。この法会を通してさらに自分の不足を見つけ、「三つのこと」をしっかりと行い、さらに精進し、師父に慈悲なる済度と期待に背かないように、残された最後の修煉の道を正しく歩みたいと思います。
師父に感謝いたします! 同修のみなさんに感謝いたします!
(完)
(2009年アジア法輪大法修煉体験発表会)
2009年12月28日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/2/213646.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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