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遅れて書いた答案


文/中国の大法弟子

(明慧日本)第六回中国大陸大法弟子の修煉体験募集の締切日が過ぎたある日の午前、店主(同修)がやって来ました。きょう彼女が学法しているとき、師父の肖像が特に厳粛な表情に見えたため、修煉体験を書くべきだと悟ったというのです。しかし、頭の中が真っ白になり、彼女がすぐそれを否定すると、原稿の粗筋が浮かんだと言いました。午前中に彼女が原稿を書き、午後になると私と入れ替わって、彼女が仕事をし、私は自分の修煉体験を書くと言い残して帰りました。自分自身も書くべきだと思っていたのですが、重く心に留めていませんでした。午後になると、彼女が帰ってきて、原稿をカウンターに置いた途端、ある客が歩いてきて「論文でも書いているの?」と言うので、私たち2人は会心の笑みを浮かべて「その通りです。でも、ただの論文ではないのよ」と思いました。これは師父が常人を通して私達に注意してくださいました。

 私は店主の体験文を読んだ後、書くことを伸ばそうとしましたが、「早く帰って、書いてください」と店主に促され、仕方なく帰りました。最初は、書くことがないと思っていたのですが、ペンを持つと、今まで修煉してきたことや、師父のご加護の下で一つ一つの難儀を乗り越えた場面が脳裏に浮かんで、思わず涙があふれました。

 私は1996年7月に修煉を始めました。初めて『転法輪』を手にしたとき、6時間かけて一気に最初から最後まで読み終えました。私は心の中で「師父! あなた様は私の師父です! 他人は李先生と呼びますが、私は違います。私はあなた様を師父と呼ばせていただきます」と考えました。1回読んだだけで、私はすでに法輪大法が高次元の法であることが分かりました。こんな高次元の法で円満成就するなら、長い修煉時間は要らず、20年は長いほうで、10年あれば十分だと思いました。

 私は佛を修めるには辛い修煉を経る必要があると知っており、大法ならきっと修煉者に厳しく要求されるはずなので、もし一旦修煉に入ると、すべては法に従って行わなければいけないと考えました。しかし、私はこんなに若くて、まだ人生を楽しんでいないのに、もう修煉を始めるという悔しい思いがありました。それで、私は恐れながら師父に「私は後に必ず修煉します。必ず師父の弟子になります。私を2、3年だけ遊ばせてください」とお願いしました。こうして、私は2年を無駄にしました。1998年の秋、師父の啓示の下で、私は正式に修煉を始め、約束を果たしました。

 すでに法輪大法が佛法の修煉であることを知っていたせいで、『転法輪』の中に「皆さんに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」と書かれているように、私は個人の修煉において時間が短いとはいえ、毎日、速いスピードで次元が高まっていくのを感じています。師父は『北米第一回法会での説法』の中で「これほど大きい法が人類社会で伝えられ、一人の人間を容れようと思えばいとも簡単なことです。最も簡単な例を挙げて説明しますが、溶鋼に木屑が落ちたら、瞬時にその姿が見えなくなります」とおっしゃいました。体験を持ってそれを理解しました。

 「7.20」に中国共産党は法輪功への弾圧を始めましたが、私は怖くありませんでした。私は全宇宙の佛、道、神、魔はすべて師父の手の中にあり、宇宙の中のこと、人間のことも全て師父が決定を下されるはずだと確信していたため、恐怖心がありませんでした。10月のある日、2回目に私は北京へ陳情に行ってきましたが、自分がよく修煉しており、高い法理を悟ったという強い執着心が生まれたため、旧勢力に隙に乗じられ、ある留置場に拘禁されました。私の拘禁はその地方で初めてのことで、周りに緊張をもたらしました。

 私と同室の強盗殺人犯は、所長から私を監視するように命令を受け、会話も禁止され、守らないと、良くない結果が待っていると脅しました。彼女は私の掛け布団が薄いのを見て、進んで自分の布団を貸してくれました。私を数日観察した結果、良い人間だと思ったのか、大法に関することを聞いてくれました。私は知恵を持って彼女の質問に答え、『洪吟』の中の数首の詩を暗唱して聞かせると、大変喜びました。後に、彼女は私に紙に書き写させ、自分も暗唱を始め、煉功の動作も習いました。彼女は将来出所したら、自分も大法を修煉すると言い出して、これを聞いた私はとても感激しました。門という門すらないほど、大法の門は開かれており、ただ、人の心だけをみるという師父の洪大な慈悲を感じました。彼女の貴重な一念があったため、師父は彼女をすでに見守り始められました。本来なら、死刑の執行猶予か、また無期懲役の判決となるはずだった彼女は、判決の日になると、15年の判決を言い渡されました。彼女は喜んで高くとび跳ねました。偉大な師父は彼女のために大きな業を取り除いてあげられました。

 拘禁中、市の公安局から来た人に2回ほど尋問を受けました。来るたび、公安局副局長は省あるいは現地の担当者と一緒に来て、尋問する前、副局長はいつも私に「質問に良く答えなさい。でないと労働教養処分にする」と念を押しました。「ありがとう、分かりました」と私は微笑んで答えました。しかし、内心では、「師父、安心なさってください。必ずよくやります」と考えました。

  彼らの前に座った私は平然としていました。「なぜ、あなた達の師父は最初は気功だと言って、後になると、修煉に代わったのか? 北京へ陳情することは政治に参与したと同じではないか?」と言われ、私は例を挙げて説明をしていくと、彼らは疑問をとき、表情が最初の軽蔑から理解と敬服に変わりました。これは師父のご加護の下で、私に知恵を下さったから、落ち着いて応答できたのだと分かっていました。彼らは何の記録もしませんでした。副局長はずっと緊張し続け、終えて出てくる時、「なぜ、怖がらなかったの?」と私に聞くので、「怖がるって? その必要があるのですか?」と答えました。私の不思議そうな顔を見て、「もういい、早く行こう」と副局長が言いました。

  留置場に帰る途中で、師父の法が私の脳に浮かんできました。『精進要旨二・最後の執着を取り除こう』の中の「皆さんはすでに相生相克の法理を知っていますが、恐れる心がなくなれば、つまり、あなたに恐れを感じさせる要素も存在しなくなる、ということです」 私は突然に悟りました。なぜ、彼らは私が恐れることを望んでいるか分かり、思わず声を出して笑いました。私は師父の弟子なので、恐れることはないはずで、彼らが私を恐れるべきだと思いました。

 師父の啓示の下で、私は自分が迫害されていた原因を突き止めました。私に顕示心があったからです。と同時に、『転法輪・辟穀』の高い次元の法理を悟りました。すぐさま、師父に「ここは弟子のいる場所ではなく、辟穀をして食事も飲み物も摂らないように、法を読むことが出来ないため、私はここから出たいのです。お願いします!」とお願いした翌日、市公安局から来て私を連れ出して家に帰しました。

 私が留置場を去ろうとしたとき、師父は修煉を始めた受刑者の口を借りて私を励まして下さいました。「ここでよくやりました。帰ったらよく法を勉強し『転法輪』を暗唱すべきですね」と言われました。残念ながら、今になってもよく学法しておらず、暗唱はなおさらできていません。

 師父の正法の進展により、私は積極的に同修達と協力し合ってチラシを配ったりして、真相を説明し、三退を勧めました。その過程で、着実に自分を修め、絶えず心を広くし、友人や同修を包容できたとき、慈悲と善の力が巨大であることを実感できました。本当にすべてを溶かす力があると確信しました。

 ペンを取れば、多く書きたいことがあるのが分かりました。書けば書くほど師父の慈悲なる偉大さが感じられ、大法の玄妙さや奥深さなどが分かって来ました。自分は交流会が終わってから師父に答案を提出したことを恥ずかしく思いましたが、それでも、私はこの機会を通して、これから師父の正法に全力を注いで精進しようと思いました。

 初めて修煉体験を書きました。不適切なところがあれば、同修達のご指摘をよろしくお願いします。

  2009年12月29日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/12/25/215034.html

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