■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/12/29/mh293035.html 



忍について

文/台湾の大法弟子

(明慧日本)法輪大法の基本は「真・善・忍」の三文字で、これはすなわち宇宙の特性です。私の次元では、「真」、「善」の二つは理解しやすいのですが、「忍」は難しいのです。正しく理解できなければ、常人の忍になってしまう傾向があります。

 「忍とは心性を高める鍵です。 怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。 まったく怒り恨むことが生じることなく、不平に思わないことこそが修煉者の忍なのです 」(『精進要旨』)と師父はおっしゃいました。

 しかし、どうやったら怒らないでいられるのか、不平に思わないでいられるのかが難しいのです。忍の中に捨があり、すべての執着を捨てることだと皆さんも分かっています。すべての執着を捨てる時になったら、すべてのことについて落ち着き、心性も向上します。このときこそ自然に怒らないようにできるのです。しかしそれでも不十分です。『精進要旨二』中の「忍の限界」では「大法(ダーファ)弟子の忍とは高尚なもので、偉大で堅固(けんご)にして破壊不可能な金剛不動の生命の現れであり、真理を堅持するための寛容であって、まだ人間性があり、まだ正念(しょうねん)のある生命に対する慈悲であり、救いです」と説いておられます。

  私の理解では、大法修煉の弟子はみな果位を持っていますので、皆がたくさんの小宇宙を包容しています。小宇宙の中に正と負、さまざまな生命体がいて、これらの生命は大法の中に生存しているので、大法弟子にとって莫大な包容心がなければ自分達の世界に多様多彩な生命が存在できなくなります。もし単一な生命だけで宇宙を構成するならば、たとえば善だけで悪がなければ善は何か分からなくなります。大法は異なる次元にそれなりの基準があり、悪がその次元の基準にふさわしくなければ自然に淘汰されるのです。

 大法弟子は各次元の中にいるため、各次元の中に生命体があり、各生命体もことなる独特な特性があり、異なる次元の中に大法弟子同士の付き合いの中でも意見が違うこともあり得ます。この時に大法弟子として包容心をもって、自己主張しすぎることなく積極的に大多数の意見に従って協力することこそ、大法弟子の偉大なところです。この次元までできたら、闘争心、私心、嫉妬心、競争心、顕示心がありえるでしょうか。

  個人的な悟りであり、間違ったところをご指摘して下さい。

  2009年12月29日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/12/17/214539.html

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