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広州市:陳湧タオさんが受けた迫害

(明慧日本)法輪功修煉者・陳湧タオさんは広州四会刑務所で受刑者から殴打を受けている。刑務所は強制的に陳さんを「転向」させるために、受刑者に指図して陳さんへの迫害をたくらんだ。最初、受刑者は陳さんの座る姿勢が良くないという理由で顔を殴り、そしてひざで陳さんの腰を猛烈に殴った。それから陳さんの腰は長期にわたり痛むようになった。

  陳さんの家族はこのことを知り、すぐ四会刑務所の610弁公室に経緯を聞き、この殴打事件を正しく解決するよう求めた。家族が数日後再びたずねると、610弁公室のスタッフは暴力事件をきっぱり否定し、家族の行動は陳さんの「転向」に良くない影響を与えるので、今後は面会を一切許可しないと言った。陳さんの家族はあきらめず四会刑務所所長、肇慶検察庁、広東省検察庁などに行き訴えた。その後、四会刑務所 610弁公室は少しおとなしくなった。

  法輪功修煉者の陳さん夫婦は2008年4月15日、広州市当局の「オリンピック聖火の受け渡しを保護す拘禁され、翌年の2009年8月25日陳さんは秘密に広東省四会刑務所に移送された。陳さん夫婦の逮捕からる」という名目の大捜査中に逮捕された。その後、3年の判決を受けて妻の鄒丹さんは広州女子刑務所に投獄まですべては非公開で行われ、家族にも知らせなかった。あとになってやっと家族に知らせたものの、家族の質問などにはまったく対応せず、再三回答を求めても言葉を濁して責任から逃れようとしている。

  陳さんは大法に対する信念を放棄しなかったため、四会刑務所で迫害を受けている。警官は暴力とうそでいわゆる「法律を執行する」という名目で受刑者を利用して陳さんを「転向」させようと企んでいる。

  陳さんは1997年から法輪功修煉を始め、心身とも元気になり、「真・善・忍」に基づいて自分を律し、至る所でまず他人のことを考えていた。1999年7月20日から法輪功に対する迫害が始まったが、陳さんは信念を放棄しなかった。陳さんはある建築会社の総務課長を務めていたが610弁公室の一言で会社から解雇され、一瞬にして職を失ってしまった。

  2001年12月10日、陳さん夫婦は国家保安大隊に逮捕されたが当時の罪名は「奸賊」(外国と結託して国を裏切る)だった。その6日後罪名が晴れ、本来なら釈放されなければならないが、陳さん夫婦はそれぞれ広州市海珠区洗脳班と広州市洗脳班に拘禁され1年にも及ぶ迫害を受けた。

  陳さん夫婦は子供にも恵まれ、幸せに暮らしていたが、両親が逮捕されて以来、子供は不安で勉強する気力もない状態になっており、胸が痛い、死んだほうがましだと口にしている。幼い子供の口から出てくる悲しい言葉に、大人たちは返す言葉が失っている。つまり、この迫害が如何に残酷なものであるかを物語っている。

  陳さんは中共軍部エリート家庭の生まれで、5年間軍隊に行った経験がある。軍隊に入った当初、陳さんは軍区の新兵代表、優秀兵士、歴任班長、中隊宣伝書記に選ばれるなど大活躍だった。かつてベトナム戦争にも参加したことがあり、最も苦しい「隠れ穴」を経験したこともあるという。兵役後、外国籍ダイヤ供給会社で宣伝幹事を担当し、1年後には中級幹部に昇進した。その2年後にはマカオ駐中国旅行会社の人事部に派遣された。

  2009年12月30日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/23/214920.html

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