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名利心を掘り出す


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私はここ十数年の修煉の中で、名利心はすでに放下したと思っていました。しかし、2日前の出来事で、心の奥に隠されていた名利心が暴露されました。

 私は中学教師をしています。3年前、仕事上の関係で今の学校に来ました。それ以来、常人の栄誉を重視せず、着実に仕事をこなしてきました。しかし、数日前のテストで生徒の成績が思うように上がらないため、保護者が校長にメールで不満をぶつけました。校長は私と話しました。私に責任はないのですが、不満に思い、悔しい思いをしました。一時気持が暗くなり、数日外に出られませんでした。

 ある日、突然師父の言葉をはっきりと思い出しました「しかし、往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深くところを刺すような激しいものでないと煉功の効果が上がらず、向上につながりません」(『転法輪』) その後これは関を突破する時ではないかと気付きました。「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであって、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」(『精進要旨』「修めるものはおのずとその中にいる」) このことに気付き、立ち上がれない原因を見つけました。私は名利を求めていたと悟りました。表では常人の栄誉を求めないのに、内心では他人に認められたいと思っており、これは名利心ではないでしょうか? やっと奥深くにあるこの心を見つけました!

 佛になり、神になりたければ生死を捨てるべきで、名利心を持ってどうして円満成就できるでしょうか? その上、正法の過程の中で、師父が私たちに要求しておられる三つのことを行わず、常人の中に深くはまっているのでは師父が心配されないわけがありません。ここまで書き、心が一気に広々として、しっかり精進しますと心の中でつぶやきました。

  2010年1月1日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/11/8/212126.html

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