■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/01/02/mh020865.html 



旧勢力の按排のすべてを否定する(二)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)

  2、初めて意識的に旧勢力の按排を否定した

 2006年、ある同修と母親が迫害によって死亡したため、私はチラシを作って貼りに行きました。しかし、隣近所の人が見て、電話で私の夫に言いつけました。夫は修煉しておらず、その上、役職を持っている役人です。夫は私のやっていることを知ると、「脚の力が抜けた」と言い、「これからこのようなことをしないという保証書を書くように」要求されました。最初はあなたのためだと言ったのですが、続いて、子供の将来のためだと言い換えましたが、そうしなければ離婚すると脅されました。「私は家庭を放棄しようと考えたことはなく、保証書など書きません。何をしようと私の選択ではありませんか」と私は答えました。夫は、子供が大学受験を終えたら別れようと言いました。

  このとき、師父の『2004年シカゴ法会での説法』が発表されました。その中で「もちろん、旧勢力が按配したこの全てを私たちは認めておらず、師父である私も認めていません。大法弟子も当然認めていません」と言われました。学法を通して、私は旧勢力が私の周囲に機制を設定しており、私を圧迫し制限していたと分かりました。私はすぐ「隣近所や夫を利用して衆生を救い済度することを妨害し、衆生を滅ぼそうとする旧勢力が私の周囲に設定していたすべての物を解体する」と正念を発しました。発正念をしているとき、私は壁のような物が突然崩壊したのを感じました。そして、目の前が広々として、私を数日苦しくさせた要素も多く減りました。

  翌日の朝、私は法を学ぶとき、『転法輪』の中の「病根はすべて取り除かれており、残りはほんの少しの黒い気で、それを外に発散させるので、あなたにほんの少しだけ難を与え、ちょっとした苦しみを嘗めさせることになります。あなたが全然苦しみを嘗めないわけにはいかないのです」を読んだとき、師父が私のことを言っておられるように感じて涙があふれました。

 3、絶えず旧勢力の按排を否定する

 修煉していくにつれて、私はだんだんと旧勢力の存在について新たな認識ができました。師父が『米国フロリダ州法会での説法』の中で「ひいては全ての大法弟子の一挙一動、一言一行、あなたが考えている事までただで済むことではありません。将来これらを見れば、全ては相当綿密に按配されていると分かります」と言われました。法に従っていない自分の一つ一つの考えは、すなわち旧勢力の按排したものだと悟りました。

 ある時期、私は常に血便が出て、自分でも心配していました。ある日の午後、会社で血便がまた出たため、同僚の同修と交流すると、彼女は「あなたの修煉においてどこかに隙があり、旧勢力に乗じられたのではないか」と言いました。交流を終えて戻る途中で、事務所を通るとき、全身に無力感を感じ、足の力が抜けたので、これでは真相資料を配りに行く事ができず、退勤して家に帰ろうと思いました。

  しかし、突然正念が湧いてきて、このようにすれば旧勢力の按排を承認したことになるではないか? 今の私の修煉の不足はまさにこれだと悟りました。私は大法弟子なので、師父が按排してくださった道を歩むべきで、衆生を救い出すことができるなら、やりたいならやればいいのであって、旧勢力に妨害されてはいけないと考えると、全身に力が湧いてきました。仕事が終わってすぐ資料を配りに行きました。それ以後、血便は出なくなりました。

 かつて、同修と交流したとき、私は口では旧勢力を否定すると言うのですが、脳裏に絶えず良くない考えが出てきました。例えば、もし警察が家に来たら、私はこのようにして、あのようにしてなどと考え、迫害されたら、あのようにすべきだと描きました。実はこの考えは自分の物ではないと考えれば、浮かんできたら否定し、ずっと浮かんでくればずっと否定し、なくなるまで否定し続ければいいのだと、私は思っています。

 以前、人と向き合って真相説明をすることはなかなかできず、やりたいのですが、直前になると、話すことができず、焦っていました。同修と交流すると、彼女は私を見て微笑んで言いました。「否定することを忘れましたか? 話すことさえできないのが、真のあなただと思いますか?」、「そうですね。否定することを忘れてしまっていた」と私は思い出しました。

 4、同修と全体への旧勢力の迫害を否定する

 私への旧勢力の迫害は認識しやすいのですが、同修への迫害は見破ることがすぐできませんでした。学法グループの同修はしばらくすると鼻水を垂らしたり、涙が出たりして唇まで剥けてしまい、一目見れば、旧勢力に迫害されているとすぐ分かります。すると、なぜ五式の動作を続けてやり通すことができないのか? なぜこのようにしないのか? なぜあのようにしないのかと、同修を見下げる気持ちが出てきました。後になると、私は旧勢力の同修への迫害を認めたのではないかと悟りました。もし、他の同修も私と同じように考えるなら、旧勢力はどれほど喜ぶでしょうか? さらに同修を迫害する口実ができたのではないでしょうか? と思うと、自分が恥ずかしく思いました。同修が良く修煉していないどころか、自分がしっかり修煉していないのではありませんか? また、このようなことに遭ったとき、自分を探すと同時に、旧勢力の同修への迫害を否定する一念を加えました。

 私達の歴史上の恩や怨恨から、今の生活の細かい部分まで、旧勢力は確かに綿密に按排しました。しっかり学法しなければ、自分の力で旧勢力を否定するのは、難しいのです。しっかり学法し、己をよく修め、師父が按排してくださった修煉の道を正しく歩むしかありません。

 次元が限られており、不適切な所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 (完)

 2010年1月2日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/12/27/215122.html

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