■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/01/02/mh023889.html 



15年間、師父に随って法を正してきた修煉体験

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1994年に師父の功法伝授講習会に参加した後、修煉を始めました。修煉する以前の私は身体が弱く、ある年には二度の大手術を受けたことがあり、医者に死を宣告されたのです。人生に対する希望を失い、苦痛の毎日を送らなければならなかったのです。ちょうど、そのとき、幸運にも法輪大法と出会うことができ、修煉を始めました。そして、不治の病が消え去り健康を取り戻し、全身が軽くなり、歩く時は飛ぶように歩き、身体に無病の状態を初めて感じ取ることができました。慈悲で偉大なる師父が私に二度目の人生をくださいました。

 1999年「7.20」中共は法輪功に対する迫害を始め、私はそのとき地元の協調人で、警官らに強制連行されました。警官は私に「法輪功を修煉し続けるのか」と言いました。私は「法輪大法は正法であり、もちろん続けます」と厳粛に答えました。数日後、師父のご加護により私は釈放されました。その後、通勤するときはバスの中で真相を伝え、会社で真相を伝え、夜は真相資料を配り、邪悪の虚言を暴いて法を実証していました。

 2002年6月ごろ、私は外孫の子守りをしていて、法を学ぶ時間が少なく、精進していませんでした。法を学ぶグループに参加することができなくなり、私心が重くなり、内に向かって探せず、結果として邪悪に隙に乗じられたのです。強制連行された同修が言い出したことで、私は再び連行されました。警官らは真相資料の出先を供述するよう強要されましたが、そのとき、最初に私の脳裏をよぎった一念は、私は法輪大法の弟子であり、すべてのことにおいて私たちの師父が決めてくださるのです。続いて「わたしは根を宇宙に下ろしているので、あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります。」(『転法輪』)という法理が脳裏をよぎりました。そして、私は正念を発しながら警官らに法輪大法の素晴らしさ、自分自身が法輪大法を修煉した後、心身ともに恩恵を受けたことについて伝えました。警官らは私に「法輪功を修煉し続けるのか」と聞き、私は「最後まで修煉し続けます」と答えました。このようにして、師父の再度のご加護により、私は翌日釈放されたのです。

 一週間後のある日、私は買い物に出かけました。7、8人の警官は私を強制連行しようと我が家に侵入してきたのです。そのとき、師父のご啓示により、私は危険から逃れることができました。

 そのときから家に戻ることができず、さまよう生活を強いられました。私はこの時間を利用して、師父がおっしゃった「三つのこと」である学法をしっかり行ない、真相を伝え、正念をしっかりと発していました。

 2006年、邪悪の妨害により、多くの大法弟子が強制連行され、資料拠点も破壊されたため、真相資料の入手が困難な状況となりました。ちょうどそのとき、明慧ネットに小さな資料拠点が中国のいたるところで花開くという内容を見てから、私もその一輪の花になろうと思いました。しかし、私にはこの方面の知識がまったくなかったので、どこから始めればよいのか分かりませんでした。この技術の分かる同修はほとんどが連行されたり、さまよう生活を強いられたりして、他の町にいて連絡が取れませんでした。ほかに方法がなく、私は師父にお願いしてみました。すると翌日、二度しか面識のない同修が突然我が家に来て、資料拠点の立ち上げを協力してくれるというのです。このようにして、私はパソコン、印刷機を購入して資料拠点をスタートさせることができました。

 主人は恐怖心から資料拠点作りに反対していました。私は継続して、主人をコントロールしている背後の邪悪生命を取り除くよう正念を発していました。その結果、主人は賛成してくれるようになり、時々資料作りを手伝ってくれています。師父が加護してくださり、資料拠点は何事もなく今も順調に稼動しています。これだけでなく、私はその後、他の同修の資料拠点作りに協力しました。今、私を含む周りの同修の家で、花が次々と咲きわたるように、資料拠点が増え続けています。

 以上は私が15年にわたり修煉した過程であり、まとめて師父に報告させていただき、同修と交流したいと思います。不適切なところがあれば、どうぞ慈悲をもってご指摘してください。

 弟子に交流の機会を与えてくださった師父に感謝し、済度してくださったご恩に感謝いたします。合掌!

 2010年1月2日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/12/27/215136.html

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