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しっかり学法し 理知をもって子供に接する


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1996年末に幸いに法輪功の修煉を始めました。法を学び、煉功を始めて、すでに十数年が過ぎました。師父の慈悲なる済度と、私を導いてくださった師父のご恩に感謝いたします!

 師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」(『転法輪』)と説かれました。修煉の道のりで、私にはまだ取り除かれていない執着と人心が多く残っており、しかも旧勢力はまた人心を口実に迫害をしています。このほど、私は子供に対する情を放下することができず、旧勢力に隙に乗じられてしまい、魔難を拡大させました。子供に執着すればするほど、子供はますます良くない方向へ行き、放下できなければできないほど、子供はますます落ちていきました。私は子供が高校3年生の時、正常に勉強ができるように望んでいましたが、子供はなんと恋愛に陥り、私の希望とは反対の道を歩みました。私はすべての術を尽くしましたが、どうすることもできませんでした。私はこのことに心が動じられてしまい、三つのことを行うこともできず、すべての執着に邪魔されてしまいました。1年近く魔難に陥り、非常に苦しみ、非常に焦りました。

 師父は『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』で「環境は人心によるもので、環境が良くないのは、皆さんがそうさせたのです」と説かれました。修煉者に偶然なことはありません。必ず私の修煉状態と関連しています。修煉者として、私は心を静めて、冷静に考え、自分にまだ取り除かれてない、どんな人心があって、常人社会のこれらに動かされたか、内に向かって探しました。私の空間場が不純だったのに、正念を多く発してそれをきれいにすることができず、外に向かって探し、他人を責め、他人に文句を言ったため、家族との関係もとても厳しくなっていました。

 さらに内に向かって探してみると、私はあまりにも、子供が大学へ進学し、良い仕事を探し、理想的な相手と結婚し、将来幸せな生活を過ごすことに執着していました。すべてを自分の考え通りに按排しようとしていました。今生、私は彼を私の息子として接しましたが、彼は私を母と認めず、私が彼のために犠牲を払い、面倒を見ても、彼は私のことを認めてくれませんでした。私は法に則って悟らず、これを彼の親不孝だと思い、悲しくなりましたが、これらはすべて情によるものでした。子供は転々と学校を変え、一つの学校に長く通うことができず、旧勢力は私の執着を見て、私の漏れをみたため、いろいろな学校を選ぶことに、お金を費やすようにしました。これも旧勢力の私に対する経済的な迫害です。

  また私は、他人に対して善ではない心も持っていました。息子が恋をしてから、私は息子に会うと、あなたは恋をしてはいけない、さらにあの子を彼女にしてはいけない、あの子はあれこれ良くないといい、しかも私は後ろでその子を罵り、他人から聞いてきた話を息子に伝えました。しかし、息子はあの子がいいと答えました。私はその子の両親と会ったことがありましたが、ずっと真相を伝えることができず、ただ1日も早く、息子とあの子との恋愛をやめさせようと思っていました。

 子供のこのことを通じて、内に向かって探した結果、私は自分がしっかり学法することができず、何かにぶつかると法理に基づいて悟ることができないことが分かりました。今後、私は必ずしっかり学法し、正念をもって着実に行い、常人社会のすべてに動じられないように、今後、法を正す修煉の道をきちんと歩み、師父が私たちに与えてくださった宝物どぁる、内に向かって探すことを大切にし、さらに理知を持って、冷静に、各種の機会を見つけて真相を伝え、三退を勧め、衆生を救い済度する神聖なる使命を果たし、師父に随って円満成就できるように努めたいと思います。

  2010年1月3日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/1/1/215466.html

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