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しっかり学法すれば、すべての執着を取り除くことができる

文/中国山東省の大法弟子

(明慧日本)私は1998年の正月、実家に帰った時に貴重な本『転法輪』を手に入れました。その時の私は悟性が低かったので、暇があれば少し読んだり、読まなかったりしていました。今考えれば、悔しくてたまりません。煉功場所がなかったので、資料は全部母が持って来てくれたのです。交流と言ってもただ母が手紙で「法に時間をたくさん使ってください。人間のこの世のすべては生まれる時に持って来られず、死ぬ時にも持って行かれません。唯一、修煉のみです。早く法を広めてください」と促してくれたぐらいでした。こうやってぼんやりしているうちに一年が過ぎました。

 母を失った情の魔難から抜け出す

 迫害が始まった後、私は母と一緒に法を実証するため北京へ行きました。2000年中国の「小年(陰暦12月23日、正月の7日前)」の日に、警官が汽車の駅もバスの停留所も見張っていました。私たちは駅に入らないようにし、途中で乗り換えたり、歩いたりしました。夜は郊外で、建てたばかりの空いている家を見つけ、背中を向かい合わせにして、暖まりました。足が冷えてたまらなかったら、立って足踏みをしますが、音を立てないようにしていました。やっと夜が明けて、また出発しました。歩きながら互いに励まし合ったり、助け合いながら行きました。北京で私たちが泊まったホテルには大法弟子が多く、安全に気をつけなかったため、スパイに狙われ、私と母は連行され、別々に拘禁されました。執着心のせいで私は「転向」してしまいました。

 師父の慈悲なるご加護の下で、同修が助けてくれたおかげで、私は2003年からまた大法に戻りました。迫害された影響はまだあり、精進し、確実に修煉することができませんでした。自分でも状態が悪いと分かりながら、突破する決心はなく、母に希望を託し、いつも電話をかけて、私の家に来るように促しました。強い依頼心と、外に向けて求める心が旧勢力の隙に乗じられました。

 2006年5月のある夜、弟は電話で「母が病気になった、病院に送らなければならない」と言いました。私は弟の話を嘘だと思いました。私から見れば、母はずっと精進し、知識があり、法理を高く理解し、真相を伝えることもしていました。周りで老人が病気になったり、亡くなったりしたら、私は「自分の母はそのようなことにはならない、法を学んでいるから」と喜んでいました。こんなに強い執着に私は気づきませんでした。11時頃に弟からまた電話があり、「母が亡くなった」と言ったとたんに天が落ちて来たように驚きました。

 葬式から家に帰った私は、かなり長い間、母を失った魔難に陥りました。母からの手紙を見る時、自分で真相資料を配る時、煉功する時、法を得たばかりの時、母が功を教えてくれたことを思い出すたびに、泣いていました。完全に情の中に浸って、元気になれなくて落ち込んでいました。

 その状態は同修に会うまで続きました。同修と交流したときに、同修に厳しく言われ、私の心が動かされました。私は内に向かって探し、いろいろな執着を見つけました。母に対する情、依頼心、嫉妬心、顕示心、それから、大法を学んだら保険に入ったように思い、修煉者としてあるべき考えではなかったと分かりました。そこで、私は学法を強化し、だんだんと母への情から抜け出しました。そして、師父がなぜ説法をするたびに飽きずに繰り返し、私たちに学法するようにおっしゃったのかも実際に分かるようになりました。しっかり学法すれば、本当に一切の執着を取り除くことができるのです。

 情を放下し、純粋に三退を勧める

 2004年末に『九評』が発表されて、私も三退を勧め始めました。家族から始めました。息子は内向的で、それに私が迫害されたことが息子は大きく傷つきました。特に、学校で法輪功を誹謗中傷するサインをする時に、担任の先生は全校生徒の前で、息子に「他の人はサインしなくてもいいですが、あなたはしなければなりません。お母さんは法輪功をやっていますから」と言いました。このことは後で息子のクラスメートから聞きました。息子は私に話しませんでした。邪党が中国大陸で行っている「真、善、忍」に対する迫害は、衆生が正しく大法を理解することにどれほど大きな障害をもたらしたかが分かります。

 初めて息子に三退を勧めた時、顔を横に向けて、私が何を言っても黙っていました。私は怒りながら、焦っていました。息子から見捨てられる心配もあり、多くの人心が現れました。放っておこうと思いましたが、内に向かって、学法をすることを通じて、これは自らの先史の大願で、諦めてはいけないと分かり、一度話して駄目だったら、二度、三度でも、時間さえあれば話しました。やっとある日、『転法輪』の字を直しているところへ、息子が不思議そうに「何の字を直すの?」と聞いてきました。それで私は、中共邪党は伝統文化を破壊し、漢字を簡単にし、表音化(歴史的・伝統的な表記の仕方と違って、その時々の発音に従って表記する方式)したことを話し、いくつかの例も挙げました。その時に、何も自分の観念はなく、すべて師父が慈悲なるご加護のおかげでした。息子は真面目に聞いていました。話が終わってから、私は息子に少先隊(中共の下部組織)を脱退するように勧めたら、息子は「お母さんに任せるよ」と言いました。息子はやっと助かりました。私はホッとしながら、歓喜心と任務を果たした思いが出てきました。

 私の人心のせいで、息子にまた一つの魔難をもたらしました。息子は中学校に入るとすぐに、担任の先生に中共の関連組織に入るように要求されました。息子は悪いことだと分かっているので、私に言いませんでした。ある日偶然に、同級生から話を聞いたのです。

 それで私は担任の先生に真相を伝えようという一念を発しました。すぐチャンスが来ました。息子は学校で父兄会があると言いました。私は毎日正念を発し、担任の空間にある邪悪なものを取り除きました。父兄会に参加する日の朝、夫は担任の先生の前で真相を伝えることに反対しました。息子は新しい環境に入ったばかりで、クラスメートも先生もお母さんが煉功していることを知らないので、子供に悪い影響を持たらさないようにと言いました。

 私が真相を伝える正念は強くなく、衆生を救い済度することを最優先にしていなかったことに気づきました。そこで正念を発し、自分の空間をきれいにし、自分が真相を伝えることを邪魔しようとする邪悪な生命と要素を払いのけました。食事の後、正念を発しながら、学校に行きました。会議中もずっと自分の空間を払いのけていました。会議が終わりましたが、担任は保護者に囲まれ、それぞれの子供の学校の状況を話していました。私はこれが旧勢力によって衆生が真相を知ることを邪魔するために作ったものだとはっきりと分かっていました。承認するわけにはいきません。

  わたしは外で正念して戻って、職員室に行きました。私はどうしたらいいか迷っていましたが、心の中で、「これは先生のためで、先生の命を救うのだから」と自分に言い聞かせました。すぐに正念が十分に出てきました。ちょうど、担任の先生も私を見て、出てきました。私は息子が団を脱退すること、貴州の蔵字石、共産党の腐敗などを話しました。穏やかで、慈悲な雰囲気で話していました。担任の先生も蔵字石のことを知っていて、「中国共産党亡」という石に浮き出た六つの字のことをよく知っていました。最後に先生は、息子が中共組織から脱退することを許してくれましたが、先生自身のことはこれからの様子を見てから決めると言いました。

 このことをうまくできたのは、全て師父が加持してくださったおかげです。なぜなら、私は経歴に劣等感を持っていて、自分より強い人と接触するのが嫌で、なおさら深く人と話し合うことを嫌がっていたからです。

 無条件で内に向けて探す

 正法が進むにつれて、明慧ネットで、花が咲きわたるように資料拠点をたくさん作ろうという提案があり、私も資料を作りたいと思っていましたが、経済面で旧勢力に隙に乗じられました。2006年秋のある夜、私は夢を見ました。夢の中で汽車がゆっくり出発しました。私は必死に追いかけて、汽車に乗ったとたんに、スピードが速くなりました。ほっとして周りを見ると、自分は汽車の前にいました。人はいっぱいで、スペースが全然なく、みんな込み合っていて、そしてみんな20過ぎの若者たちばかりでしたが、自分は現実の顔と同じでした。情けないと思って、降りようとしましたが、我慢して降りませんでした。目覚めてから自分の修煉がまだまだ駄目だと分かりました。

 数日後、協調人が家に来て資料を作成する気があるかどうか聞きました。私は素直にやると答えました。すると、彼は「やる気さえあれば十分です、私は設備を提供します」と言いました。早いうちに協調人は印刷機と使う物を持って来て、それから数日後、技術を教える同修も来ました。コンピュータのつけ方と消し方を教えてくれました。しかし、設備が足りないので使えず、また買いにいかなければならないと言ったまま、何日も連絡がありませんでした。私の心は動じ始めました。文句と心配が走る馬のように生じてきました。

 その時、師父の説法が頭の中に浮かんできました。「皆さん、ご存知ですか? あなたが修煉者でありさえすれば、いかなる環境、いかなる状況下でも、遭遇したいかなる厄介なことや不愉快なこと、ひいては大法(ダーファ)の仕事のためであっても、皆さんが思っているどれほど良いことや、どれほど神聖なことであっても、わたしはそれらを利用して皆さんの執着心を取り除き、皆さんの魔性を暴露させることで、それを取り去っているのです。 皆さんの向上こそ、この上なく重要だからです」、「真にこのように向上することができるのであれば、皆さんが純粋で浄(きよ)らかな心の状態の下で行うことこそ、最も良いことで、最も神聖なことなのです」(『精進要旨・再認識』)

 私は静かになって、内に向かって探しました。自分は資料を作ることによって、威徳を立て、次元を高める私心があり、好奇心、負けず嫌い、顕示心、それに党文化の闘争意識も持っていることに気づきました。こんなに強い私心をもって神聖なことをやるのは良くないのではないかと思いました。このことが分かってから、すぐ正念を発して取り除きました。しばらくしてから、技術を教える同修がまた来ました。

 資料を作って半年ぐらいのころ、協調人と交流したときに、私たちの地区に立ち上げたばかりの資料拠点が困難に遭っていて、都市にいる同修は忙しいため私に見に行ってほしいと言われました。その話を聞いて、私は少し嫌だと思いましたが、我慢しました。家に帰ってから、考えれば考えるほど、不満に思いました。「彼らは時間がないのに私にはあるのか(どんなに強い嫉妬心でしょう)、そして私も資料を作り始めたばかりで、ただネットにつないで、ダウンロードや印刷など簡単なことしかできない。私が行っても問題は解決できないでしょう。解決できなかったら恥ずかしいし、しかも私が困っていた時にどうして心配してくれなかったのか」などと、不公平な気持ちが生じました。自分で、修煉者の基準までかなりの距離があるとはっきり分かっていました。

 座って、法を学びましょう。『転法輪』を持つと、師父の説法が明らかに眼の中に映ってきました。私は涙があふれました。師父はいつまでも私たちのそばにいらしてくださり、守ってくださって、悟らせてくださいますが、私は長い間、後天の変異した観念と思想業力に妨害され、自覚していませんでした。ここまで考えると、一瞬のうちに体に迫ってきた黒い物質が消え去っていき、体が清らかで、透き通るようになったと感じました。その後の結果はお分かりでしょう。私は同修との問題を簡単に解決できました。

 法を実証する道を振り返ってみると、いつまでも師父の浩々たる恩をいただくばかりで、人間のいかなる言葉でも師父の慈悲とご加護への感謝を言い表せません。ただ努力をし、大法弟子としてのことを頑張るしかありません。師父にご心配をかけず、どんなに困難な道でも、師父を信じ、大法を信じ、歩み続けていきます。そして、自分の先史の大願を実現し、最後まで師父が法を正されることに随います。

 次元に限りがあり、不適切なところはどうぞご指摘ください。

 2010年1月3日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/10/11/210117.html

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