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ある知識人の修煉体験(一)


文/北京の大法弟子

 (明慧日本)私は、3歳でようやく話せるようになりました。そして学校に行き、推薦で軍の大学に入りました。卒業後、会社員として2年間勤め、北京のある秘密の科学研究所に配属されました。偶然のように見えますが、これは後に修煉を始めるため、知識を蓄えていたのではないか、これは自分の修煉環境ではないのだろうか、と考えました。

 『カナダ法会での説法』の中で「法を師とするようにと皆さんに教え、本を多く読み、法を多く学べば、どんな問題も解決できます」と師父がおっしゃたこの法は、私が16年間修煉してきた根本的な礎となりました。16年間どころか、幾度の輪廻転生のすべても師父のご加護の下で歩んできたのではないでしょうか。

 一、修煉すべき時期が来た

 千年の輪廻転生を経て、師父のご加護の下でやっと大法が世に広まる時期に、また人間として生まれてきました。秘密の科学研究室で仕事をしている知識人としては、大法を知り、そして修煉に入ることはいかに難しいことか、またいかに幸運なことかをつくづく感じました。まさに「佛の恩は語れないほど大きい」のです。

 80年代末から90年代の初めごろまで、朝になると公園で人々がさまざまな気功をやっていましたが、私に適した気功はありませんでした。その時期、気が沈んでいた私は、さまよいながら真の気功を探していました。1993年10月4日、妻が勤務先の科学研究所から帰り、1冊の本を私にくれました。『法輪功』でした。表紙に師父が座禅されている写真が載っており、次のページに「佛家気功の修煉大法」と書いてありました。それを見た途端、思わず「これだ! 探し求めていたのは!」と口にしました。翌日、妻はもう1冊、『法輪功』をもらってきて、私達夫婦2人は一生懸命に読みました。

 年末に私と妻は、娘夫婦を連れて「東方健康博覧会」に行き、師父の講義を受けました。家族は大いに恩恵を受けました。最も印象に残っているのは、北京で説法講義がまた開かれるかどうかを知りたくて師父の所に近寄ろうとしましたが、師父がこちらに向かって歩いて来られ、私との距離がわずか1メートルくらいになりました。私は師父を見上げると、師父がとても偉大で大きく感じられました。しかし、私は一言も喋れず、ただずっと師父を見つめており、師父がこの私を慈悲な目で見ておられました。周囲に誰もおらず、師父と2人だけでした。今度こそ、真の師父を見つけ、幸せな気持ちであふれました。後に「模範市民の表彰式」で、私と妻はもう1度、師父の説法を生で聞きました。今回は私達は2人とも小さい法輪バッチを付けて朝の煉功場で煉功し、そして説法講義を聞いてから、職場に行きました。1994年6月、妻は山東省済南での説法講義を聞きに行き、私と妻はこの上ない幸せを分かち合いました。修煉の縁が本当に熟成しました。

 16年も修煉してきて、大きな難儀に遭うことはなく、いつも、師父の慈悲に包まれていたのを感じました。特に、ある年『転法輪』の中の「それを夢と言えますか? 違います」と同じようなことを体験した私は、師父が夢を通して注意してくださったことを胸に刻みました。『洪吟二・師徒の恩』「師徒は情を講ぜず 佛恩は天地を化す」は永遠に私の精進する動力となっています。

 二、法を多く学ぶ

 修煉を初めて数年間は、仕事で忙しかったため精進していませんでした。『転法輪』をわずか十数回しか読まず、1998年8月、名利の難に出遭ったとき、やっと法を多く学ぶ重要性を悟りました。1999年1月2日から、仕事の休み時間などを利用し、もっと多く学法しようと決心しました。特に、「7.20」以降、職場の空気が凍ったように感じ、大きな精神的圧力を感じました。しかし、師父の「どんな厳しい環境下でも、皆さんは心を落ち着かせるべきです。いかなる心も動じなければすべての変動を制することができます!」の言葉をしっかりと覚えていたので、師父と大法に対する信念は微動もしませんでした。職場で自分の部屋をもっているので、会議の時以外は『転法輪』を読むことにしました。今まで、600回読み通しました。

 16年の間、二つに分けて学法してきました。一つは自分で毎日『転法輪』の1講か、2講を読みます。二つめは毎週の日曜日、学法グループで『転法輪』の1講を1人一段落ずつ読み、終わったら続いて新経文を勉強し、その後、順番に各地での説法を読みます。『精進要旨』『北米第一回法会での説法』『導航』『二〇〇三年旧正月十五日の説法』『各地での説法』などを順番に読み、続いて2007年・2008年・2009年の説法を、順番に繰り返し勉強していきました。

 師父は『オーストラリア法会へ』の中で「法が基礎であり、大法弟子の根本であり、すべての保障であり、人から神に向かう道であるため、私はオーストラリア法会のこの機会を借りて、全世界のすべての大法弟子に教えます。つまり、古い学習者であれ、新しい学習者であれ、忙しいからといって、法の勉強を決しておろそかにしてはいけません。法の勉強は形式的なものになってはならず、精神を集中して勉強し、本当に自分が勉強するようにしなければなりません」と弟子に教えてくださいました。弟子なら師父の言われたことに従って行わなければなりません。私は学法する前、いつも先に手を洗い、服装をきちんとし、姿勢を正しくし、大法の書籍をちゃんとした場所に置いてから読み始めます。途中で水を飲まず、トイレにも行かないようにしました。私の原則は、学法と同時に師父と大法を敬うべきだと考えています。『転法輪』を繰り返し読むのは私の習慣で、大法を学ぶのは私の人生の基本原則といえます。

 (続く)

 2010年1月4日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/12/30/215331.html

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