精進して人を救うことは自分の責任である
文/中国の大法弟子
(明慧日本)師父は『明慧ネット十周年法会での説法』で「できるだけ救い、少なくとも半分残し、または七十、八十パーセントの人を残せば最も良いので、私は皆さんにできるだけ行うように言ったのであって、これが理由なのです」とおっしゃいました。
済度する衆生の数が師父の要求に達することができるかどうかの問題をめぐって交流する中で、ある同修は自分のやむを得ない心理状態を表し、たぶん到達できないと話していました。私はその話を聞いて非常に悲しくなりました。現在、三退した人の数が少なかれ多かれ、この一点を私は堅く信じています。一人一人の大法弟子が師を信じ法を信じることができれば、ゆるむことなく伝えていけば、われわれは必ず師父の期待に背かず、半分の衆生を救うことができると思います。
第6回中国大陸大法弟子の交流会で発表された一つ一つの文章を読むと、彼らは世間の執着を放下し、勇猛邁進して人を救っています。あんなに良く行ってきた大法弟子と比べてみて、自分は本当に恥ずかしく思っています。私は外国企業で働く大法弟子で、日ごろ接触する人はみな教育レベルが高くて、基本的に面と向って真相を伝える方法を取っています。大多数の人に法輪功の実態を分かってもらっています。しかし、しばしば安逸を求める心が生じてきて、真相を伝える方面でまだ十分ではありません。
この間、同修の文章を読んで以下の問題をめぐって話しました。目下、大陸で5000万の人が修煉しているとして、これは内輪の見積もりです。もしこの中の100万人が真相を伝えることを堅持し、三退を勧めることを続けていて、2004年から現在まで200人に脱退してもらったとしたら、2億になります。もし200万の大法弟子が行っていれば、4億になります。まして、多くの精進する大法弟子は一日何十人にも脱退してもらった人もいます。このように考えれば半分は難しいことではありません。同修たちよ、われわれはどこで誤っているのでしょうか。
当然、以上はただの仮説で、一人一人の大法弟子の悟性が違い、修煉の状態が違い、法を実証する方式も違います。また、いかなることも絶対とするわけにはいけません。要するに、衆生を済度するというわれわれ自らの責務を引き受け、しっかり行うべきです。
この文章を書くとき、自分に同修を恨む心があるのを気付き、これは全体の協調と全体の向上に不利なもので、修めて捨て去るべきだと分かりました。
間違っているところは、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。
2010年1月4日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/12/24/214955.html)
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