日本明慧
■印刷版   

内に向かって探せば、相手は変わるはず?

(明慧日本)「同修の間にトラブルが生じたら、内に向かって探すべき」これは、皆が知っていることです。どんなに嫌でも、落ち着いて師父がおっしゃった法を思い出し、自分を抑制する努力をするべきだと思います。私が、真に内に向かって探そうとした時、自分にはまだ各種の人心があることを見つけました。その根源は私心でした。この心はまるで木の根のように多くの枝があります。この根を抜いてこそ、執着心の居場所がなくなります。

 しかし、私はこの内に向かって探す過程で、また他の心が生じたのを見つけました。それは問題に直面し、内に向って探した後に「私が内に向って探したのだから、相手は良くなるはず」との念が生じてきたのです。内に向かって探すことに条件はありません。相手が良くなるようにするために探すのではありません。内に向って探した後、トラブルがなくなったと思いましたが、結局同じような問題がまた生じ、勢いはさらに盛んになりました。原因は私達が内に向って探す時、知らず知らずのうちに条件を付けていたからです。つまり「相手が良くなる」ことでした。相手のために修めるのですか? 相手を変えるために修めているのですか? 師父の『ヨーロッパ法会へ』の経文を読んで、全部自分のことを話されているようで、本当に恥ずかしく思いました。

 私はもう同修の行為にこだわらず、度量を大きくして、無条件で自分を探し、自分を修め、全力で同修と協力し合います。相手の意見が法に合っており、人を救うことに必要ならば、協力し合います。内に向って探したから、相手が良くなるということではありません。われわれが自分を修煉者として扱い、法に照らして行えば全てが変わるものです。

 2010年1月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/1/4/215598.html

■関連文章
内に向かって探すことは 執着心を無くすこと
自分を厳しく修め、相手を寛容する
内に向かって探してはじめて向上できる
法を着実に学び返本帰真の道を歩む
法を学んで内に向けて探せば、環境が変わる
正念が神通となる
内に向けて探し、執着心を取り除く
師父の無上の恩を感じて悟る
『ヨーロッパ法会へ』を読んで
正法修煉の中で成熟に向かう