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魔難に陥った同修に慈悲をもって接する(二)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)同修の甲さんと私は、十数年にわたって共に修煉してきました。甲さんは、出張している間も絶えず私宛にメールを送り続け、彼女から慈悲と善の力を感じました。彼女は邪に悟った私のことを知ると、他の同修に「彼女はきっと大丈夫です! 邪に悟ったかどうかは別にして、彼女が夜中に煙突に上って『法輪大法は素晴らしい』と書いた事や、また人と顔を合わせて『九評』を配り、三退を勧めたことをはっきり覚えています。きっと目覚めてくれると信じています」と話しました。

  甲さんは出張先から帰って、機会さえあれば必ず私の家を訪ねて、自分がいかに関門を乗り越えたか、いかに内に向かって執着を探し、取り除いたかをよく話してくれました。直接私のことには言及していないのですが、一つ一つの話は私のことを言っているように感じ、甲さんが見つけた執着を私も持っていることが分かりました。甲さんと一緒にいると、私は慈悲なエネルギーや善の力を感じました。このような強いエネルギー場にいる私は自分の過ちに気付きました。

 それから、私は法を多く学ぶ事を通して、真剣に内に向かって探し、正念をきちんと発しました。内に向かって探してみると、時には穴があれば入りたいほどの恥ずかしさを感じ、時には涙があふれ、時には苦しく感じ、探せば探すほど多くの執着を見つけました。そして、発正念をして執着を取り除きました。私は旧勢力の按排からやっと抜け出し、大法の修煉に帰りました(厳正声明を発表した)。同修の慈悲と善に感謝しています。師父の慈悲なる済度への感謝は言葉で言い表すことができず、ただひたすら精進して修煉することで師父にお応えするしかありません。

 私は自分に、魔難のまっただ中にいる同修に対して慈悲心を持って接することができたのか聞いてみました。答えは「できなかった」でした。私は長い間、旧勢力と同じように同修を見ていました。自分自身の法における理解で他人に要求しており、これは善とは言えません。2002年のとき、多くの資料拠点がかなり破壊されました。その中の同修乙さんは、上京して法を実証した際に連行されました。それから、乙さんは労働教養所で「転向」し、釈放されてから修煉に戻り、資料作りを続けました。しばらくすると、資料拠点が発見され、乙さんは他地区での放浪生活を強いられ、長い間消息を絶ちました。ある日、乙さんが私の職場に電話をかけてきて、「自分は農村で給料もなく住み込みで働いており、同修とも会えず、しかも大法の書籍も持っておらず、修煉を忘れてしまいそうだ」と話しました。電話で私は師父の新経文を読んで聞かせ、こちらの状況も教え、乙さんを励ましました。それから、私は送金すると同時に、乙さんがこちらで生活ができるように他の同修に頼んでおきました。

  しかし、帰って来た乙さんは妨害され続けた挙句、引っ越してきたばかりなのに鍵を壊したため、大家さんに追い払われました。仕方なく私は乙さんを連れて帰ったのですが、常人の夫は農民工のような乙さんが家にいることをどうしても許すことができないので、私は荷物を整理してあげ、ある空き家に住んでもらいました。毎日学法させ、食事を届けて一緒に交流をしました。しばらくして、同修の助けによって乙さんは正常な生活に戻りました。

 このような話をすると、私は慈悲を持って同修を手伝ったと言えるでしょうか? 言えません。今振り返ってみると、表面ではたくさん助けてあげたのですが、実際は乙さんの立場からすれば、あまり善とは言えません。乙さんを助けた時、ずっと不満を抱えていました。乙さんはよそでアルバイトをしていた時、自分の身分を知られないよう、匿名で大家さんに「法輪大法は素晴らしい」と便箋に書き残しました。一方、私は乙さんにお金を送った時、私は実名と住所を書きました。また、「乙さんは恐怖心が大きく、どこに行ってもトラブルを持ち込む」などと愚痴をこぼしていました。他の同修も私と同じように乙さんを助けながら、乙さんへの愚痴をこぼしました。魔難が多い乙さんは、妨害も多かったのです(現在、乙さんはすべてを正し、家族3人の生活を支えながら三つのことをしています)。

 それからある日、乙さんはある同修と口論になった時、「私の失敗はあなた達が後ろで陰口を言ったからだ」と言いました。この話を聞いた私も認めざるを得ませんでした。修煉者は常人ではなく、もし問題を見る基点を間違い、不純な心で、慈悲が足りなければ、助けていても一方で妨害を加えていたのかもしれません。修煉者はエネルギーを持っており、考えそのものは物質であり、法に従わない考えはマイナスの作用をもたらすのです。

 (続く)

  2010年1月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/23/214852.html

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