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魔難に陥った同修に慈悲をもって接する(三)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)同修・丙さんのことですが、数年来、私に協力して資料を配布していました(丙さん自身は資料をつくっていない)。雨風に関わらずいつでも私の誘いに応じ、一緒に資料を配りに行きます。

 丙さんはある日、急に病業の症状が現れ、腰痛のためベッドで寝たきりになりました。私たちが一緒に発正念したので、丙さんは起き上がることができ、煉功もできるようになりました。しかし治った丙さんは、出張から帰って来て十数日後、「病業」がさらに酷くなりました。それで私たちはもう一度丙さんの家で学法と発正念をしました。丙さんの体調も悪かったり良かったりしました。結局、病状が悪化して、入院しました。治療を受けても効かず、大小便失禁したこともありました。私が医者に聞くと、「この病気は骨癌の末期で、神経が壊死したため失禁したのです。もう好転の見込みはなく、高位麻痺になって死ぬしかない」と言われました。私は、現代医学ではもう駄目だと分かりました。大法しか丙さんを助けることができないと思い、事実を丙さんに話しました。丙さん自身も分かって、退路がなく学法しかないと思いました。それで丙さんにMP3を渡して、法を聞かせ、またご飯を作ってから届け、一緒に法を暗唱したりしました。それから丙さんの希望で退院をしたのです。大小便を失禁したため、尿管を付けていました。

 しかし、家で毎日学法をし、自分の内に向かって探した丙さんは、3日後には尿管が要らなくなりました。大小便も正常に戻って、現代医学のできないことができました。しかし、丙さんの病状はまだ回復していません。それに対して私は焦って、毎日丙さんに自分のことを内に向かって探させました。しかし、探しても本人は本当の執着を探せませんでした。私もいつも自分の次元での悟りに従って丙さんを助けようと思いましたが、実際に丙さんの受け入れ能力の範囲ではなかったのです。こうしているうちに丙さんが亡くなりました。丙さんが亡くなった後も、よく丙さんの子供たちが「私に感謝する」と言い、「大法修煉の人しか、こんなに善良なことはしない」と話しました。当時、私がやるべきことだけやり、丙さん自分が生死の事を放下できなかったため亡くなったので、どうしようもなかったと私は思い込みました。

 今振り返ったら、同修の丙さんを助ける基点が完全に法に合っていなかったのです。まず同修丙さんが病業になってから、すぐに丙さんの不足を探し、退院してから全力で法に従わず、常人の心を抱えて病状が現れたからです。最初の発正念で良くなってから直ちに自分が精進すべきなのに、旅行をしたことを否定しました。他の同修も同じく助けてあげながら丙さんの不足を探し、正面からの肯定がなかったのです。丙さん自身の不足を探すのを手伝ったのですが、私たちは自分自身の認識を入れ込んだだけで、丙さん本人が悟ったのではなく、丙さんの心性次元ではありません。丙さんが亡くなったのは、丙さん自身に原因があると思います。しかし魔難に遭った同修への対処を、わたしたたちが法理にそって良く行い、慈悲心をもって助けなかったことに残念な思いをしています。

 最近、私の地域に次のようなことがありました。ある情報通の人が、同修の丁さんに、「丁さんの自宅学法グループが告発されたため、注意した方が良い」と忠告しました。安全のため、丁さんの学法グループはいったん停止して、各自で学法することになりました。同修達は発正念しながらも、きっとどこかに漏れがあって、邪悪に隙に乗じられたと話しました。不足もあるでしょうが、丁さんの学法グループは数年も続いており効果がよかったのです。

 数日後、同修の戍さんが邪に悟った人に告発され、家宅捜査の後に洗脳班にまで連行されました。同じく皆が発正念しながら戍さんの不足を探しました。「戍さんは最近何もしなくなった」「家にいるだけで連行された」「恐怖心が強い」「常人の事が多すぎる」などです。実際は、戍さんも三つのことを行っており、対面して三退を勧めることもよくやっていました。ある日、一緒に公園で三退を勧めていた時、公園の入り口で戍さんの話を聞いた3人が脱党しました。

 (続く)

 2010年1月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/23/214852.html

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