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魔難に陥った同修に慈悲をもって接する(四)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)同修の己さんは、ひどい病業の状態に陥り家族に病院に運ばれて20日あまり入院し、痩せこけていました。同修を集めて己さんのために発正念して、同時に一部の同修は「己さんは他の人を尊敬しない。人心が多いと言い、まだ恐怖心があり生死を放下できない、真面目に学法しない」などといろいろ言いました。十数年の法を実証する中に己さんも自分なりにやって、同修のためにディスクを数千枚も買ったりして、『九評』も数箱分つくりました。

 ここまで来て、私たちが同修に接する時にまだこのような見方をもっていて、本当に変えなければならないと思いました。同修が魔難に遭遇していることを知ったら、何もしなくても第一に正念を大事にして欲しいのです。まず同修の不足を探すとかをしないようにしましょう(本人の不足は自分で探すことでしか向上できません)。

 そして本人の良い面を考えて、彼も同修で師父の弟子だから旧勢力に試練されるべきではないと考えましょう。

 この点から発正念をすれば慈悲な力が現れると思います。まだ同修への対処は同修を助けるだけではなく、自分自身の修煉向上ともなります。如何なることも偶然ではない、同じく修煉のことです。

 私たちの周りには絶えず同修が被害にあわれることが発生して、これは私たちすべての弟子に関係があり、皆よく自分自身を反省しなければなりません。

 もともとこれ程書こうと思わなかったが、先日自分の不足を探した時にこの法理を悟りましたので、皆と共有したくなりました。

 この文を書き終わった時に、静かに座っているうちに同修が映画のように浮かんできて皆がきらきらして良い姿を表しています。だれでも誇らしい経歴があります。

 ある若い女性の同修は常人の中で幹部を勤め、問題に鋭く人の不足を一発的中で指摘します(今変わりました)。以前私はよく彼女に対して観念を以っていましたが、今までして来た事を見て、かつて私と一緒に真相資料を配ったりしたことを思いだしました。

 以前の彼女は仕事が忙しくて、すべての時間をしっかり利用して学法し、資料印刷などに使って、さらに毎日定時に資料を配りに行きます。

 ある日の昼、車に乗って数百キロあまりの所に来たが、体中だるくて熱もあったのです。しかし、人を救うのが最優先で、自分がゆったり休憩する暇はないと考えて、晩ご飯も食べずに資料配りに行きました。資料を分ける時に彼女の手に触れると熱かったので、その時に私は感激の気持ちでいっぱいでした。

 「悠々たる萬世の縁 大法の一線より牽く」(『洪吟二』)と師父が説かれておられます。正法時期の同修が一緒にいて、これは万年の機縁であります。残り少ない日々の中、私たちは互いに大事にし合うべきです。たまたまトラブルがあっても互いに修煉のために存在したものです。

 人心をなくして、人の不足を気にしない、同修の良い面だけを見るのならば、「慈悲をもって同修に接する」ということを理解した時点で、同修との距離が一気に縮まります。隔てがなくなり、同修との縁を大事にしたい心が湧いてきて、慈悲なる空間場に包まれます。そして、すべての同修が慈悲をもって他の同修に接すれば、圓容不壊の全体が成り立って、力も無限になります。

 (完)

 2010年1月9日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/23/214852.html

■関連文章
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魔難に陥った同修に慈悲をもって接する(一)
同修は私が魔難から抜け出すように手伝ってくれた
慈悲をもって迫害を受けた同修に接するべき
自我を放下し、同修と円融し、協力しながら向上する
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神の念で同修と接するべきである
魔難は向上するチャンス、修煉の歩みを止めてはならない(三)
魔難は向上するチャンス、修煉の歩みを止めてはならない(二)