■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/01/10/mh111450.html 



頑張って合格できる大法小弟子になる

文/河北省の大法弟子

(明慧日本)私は普く照らす佛光の下で成長してきた大法小弟子です。5歳の時から毎日お母さんに連れられ、大人の同修たちの学法に参加しました。当時、学法の場所はある幼稚園の一室で、そこにはおもちゃがたくさん置かれていました。同修のおばさんが一人で座っている私の傍に来てくれて、私が飽きないように、おもちゃを手に持たせてくれました。おもちゃに興味を示さない私を見て、本当におとなしい子だねと皆が口をそろえて言いました。時々、お母さんが私を連れて一緒に煉功しました。

 私は、小さい時から体がとても丈夫でした。生まれつき、私は薬物に対して拒絶反応が起こるようです。まれに風邪をひいた時に、錠剤を粉末状にして飲ませるぐらいだとお母さんが言っていました。錠剤すら飲んだことがなかったです。飲むと吐き出してしまい、飲み込めないのです。点滴はなおさら一度も受けたことがありませんでした。大法を修煉してから、病業の関において、心性上の試練をほとんど上手く乗り越えました。幼いながらも、師父が私の業を取り除いてくださったので病気などをないことを私は理解していました。あの頃、毎日浩大な佛恩を受けて、とても幸せでした。

 私が小学1年生になった時、迫害が始まりました。いつかは忘れましたが、家にお母さんがいないことに気づきました。お母さんはその日、北京へ政府に法輪功の無実を訴えに行きましたが拘禁されてしまいました。あの頃、ただ、ただ、消え去ったお母さんの温もりと増えたお父さんの白髪だけを覚えています。

 どれぐらいの時間が経ったのかは覚えていませんが、後にお母さんが帰ってきました。私は学校でもらった賞状をお母さんにあげました。お母さんの痩せこけた顔に笑みが浮かびました。お母さんが留守にしていた間、私は師父がずっと私の傍で見守って下さったことを知っていました。私は絶えず大法の法理で自分を律しました。

 毎日学校の宿題が終わった後、自分から進んでストーブの火をおこして、できる範囲内の家事でお父さんの手伝いをします。隣近所や親戚は皆、私をいい子だと言い、私のことを「小さな大人」と呼ました。私は大法小弟子で、師父に見守られており、他の子とは違うことを自分が認識しています。お母さんの留守中はなおさらいい子になって、大人に心配かけないよう努力すべきだと思っていました。

 ある日、警官が頻繁に家に侵入し、家を荒らし、お母さんのことを尋ねましたが、私は一切答えませんでした。人の前では泣いたことはないのですが、布団の中で泣いたことがありました。

 4年生の時に、病業の関を体験しました。腰辺りに「蛇盤瘡」というもの(帯状疱疹)ができて、痒くて痛いのです。年寄りの話によると、このできものが腰まわりを一周囲んだら、いかなる薬も効かなくなり、命の危険にさらされるというのです。期末試験の朝、あまりの痛さで私は泣きました。お母さんとほかの同修は私を励ましてくれて、正念を発してくれました。自分も毎日学法と煉功をして、痒みと痛みを感じる以外、何も気にしませんでした。痛みや痒みが襲ってくる時に、心の中で「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる(『転法輪』)」を黙読します。師父のご加護により、二週間で完治しました。これはまさに大法の奇跡です。

 中学校に入り、別の子が学級委員に選ばれました。ずっと小学校から学級委員をやってきた私はどうしても納得できませんでした。「彼女のどこがいいの」、「何年も学級委員やった私は彼女に及ばないとでも言うの」などの不平を抱いて、心の中で悔しさと不満でいっぱいでした。

 家に帰り、『転法輪』の「嫉妬心」の節を勉強した時にパッと目が覚めました。

 私はまさにこの節で書かれていたあの才能を持っていても昇進できない人と同じではありませんか。師父は「ですからわれわれは自然に任せるように言っているのです。時に、それが自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので、この方法を用いて利益にこだわる心を取り除かなければならないのです。そういうことです。常人はこの理が悟れないので、利益をめぐって争ったり、闘ったりするわけです(『転法輪』)」と話されました。

 この話を読んで、とても楽になりました。この通りではありませんか。すでにこの神聖な大法を学んだ私は、常人と学級委員の座を巡り、争ったりして良いものでしょうか、と認識しました。こう悟ったら、とても楽になりました。

 中学校卒業試験の直前まであまり成績が良くなく、先生にまで心配されました。まず、この心を放下し、法をよく学ぶことに専念するようにとお母さんが教えてくれました。お母さんの話した通り、授業に集中し、宿題もいつも通りに終わらせ、学法に専念しました。良い成績を取れることも法を実証することだと思うとお母さんが言いました。私は自分を落ち着かせて、着実にやるべきことをコツコツと実行しました。すると卒業試験は予想通り良い点数を取れました。

 また、卒業試験の前にお母さんとの心性の関がありました。数回の体育の模擬試験の成績はあまり良くなかったため、体育の追試の時に、先生にもし病院の「持病証明書」を提出できればテストの半分は免除される、家に戻ったら、親に相談してみてと教えてもらいました。修煉にいかなる偶然もありません。持病証明書さえ出せば点数を失わないですむことになりますが、実際、病気を持っていないのですから、このようなことをしたら偽りではないかと思いました。

 けれど家族の皆は私のことを大いに期待していて、もし体育の成績が低かったせいで良い学校に落ちたら悔しいはずだと悩みました。家に戻り、お母さんに話したら、まず病院に行ってみようとお母さんが同意しました。私は嬉しいと同時に、少しは気をもみましたが、やはり高得点を取りたい一心で疑問に思ったことを心に閉まっておきました。

 その日の午後、さっそく病院へ向かいました。一人の看護士さんに尋ねると、「どの医者にも証明書を出してもらえます。午前中にすでに数人の患者に出しました」と教えられました。

 直ちに医者へ尋ね、要件を伝えたら、でたらめに出せないと二人の先生にきっぱりと断られました。すると、その場でお母さんは同修に会いました。このことを交流してみたら、このやり方は詐欺で、本人は心を正しく持っていれば、無事に体育の試験をパスできると指摘されました。

 家に戻り、お母さんは同修の話をしてくれました。悔しくて泣き出しました。その後も何人かの同修が私をなだめてくれました。後の学法を通じて、自分はいまだに師を信じ、法を信じることができておらず、良い点数を取ることだけを重視し、学法することを第一に置いていないことを悟りました。

 追試に向かう途中、私は大法小弟子であり、いかなる旧勢力の按排も一切認めないと念じました。試験の結果、満点は取れませんでしたが、いつもよりは良い成績を取れました。これは師を信じ、法を信じたからこそ、これも同修の支えがあったからこそできたことだと分かりました。

 師父はいつもしっかりと学法する重要性を強調されています。私はこのことを心得ています。地元の同修全体の向上、昇華を図るために、2007年、家で小さな資料拠点を設けました。お母さんを手伝って真相資料を作りながら、近辺の同修に『明慧週刊』を配っていました。お母さんと一緒に作り上げた、一部一部の美しい真相資料を手にした全ての縁ある人々が救い済度されるように、と正念を発します。精進できない時には、機械が故障します。心性の向上ができた時に、すぐ機械も元通りになります。

 時々、お母さんと一緒に資料を配りに出かけます。ある日、地元の邪悪を暴露する資料を配った時に、妨害が生じ、雨がひどく降りました。計画通りに真相資料を配り終え、帰宅途中に一台、路肩に止めてあるパトカーに遭遇しました。パトカーは大きなライトをつけており、すでに深夜の11時を過ぎた頃でしたが、お母さんと私は恐れませんでした。パトカーに向かって、私たちが見えないようにと正念を発しました。師父の慈悲なるご加護のもとで、無事に家に帰る事ができました。全身ずぶ濡れでしたが、心の中はポカポカでした。

 今、私は高校1年生です。私の教室の近くの窓ガラスに23輪の優曇華の花が咲きました。これは、師父が私にくださった励ましだと分かりました。学校は寄宿制です。勉強はとても忙しいですが、自分は大法小弟子であることを常に念頭に置き、毎日の消灯後、布団に潜り、懐中電灯を照らして学法します。すると、一日の疲れが一掃されます。一人の大法弟子として、大法の教えに基づいて行動していますが、怠ける時もあります。何か気に入らないとすぐに怒り出して、事後にまた後悔するなど、これら足りないところをできるだけ早く直して、法を正す進展についていき、合格できる大法小弟子になりたいと思います。

 2010年1月10日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/11/13/211986.html

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