■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/01/10/mh113590.html 



もう一度修煉に戻った体得(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)法輪大法の修煉を始めた日から計算すると、もう11年経ちました。しかし、この11年の中で、私はずっと大法に同化して昇華してきたのではなく、多くの回り道を歩んで、多くの過ちを犯しました。本当に再度修煉に戻ったのは2008年9月末です。私はまだしっかりと修煉できておらず、日は浅いのですが、修煉に戻った後の些細な体得を皆さんと分かち合いたいと思います。

 一、大法に従って修煉できず、旧勢力の按排を歩んでしまった

 私は若い女子大法弟子です。1999年7.20の迫害の開始後、天安門広場に陳情に行き、留置場で断食し、出所しました。法理に対する認識が浅く、内に向けて探すことも分からず、この迫害をただ邪悪政権が俗世間の人間に対して起こした迫害だと認識して、内心では迫害を認めて、消極的に耐えていました。最後に、私は不法に北京市女子労動教養所(旧新安労動教養所)に拘禁されました。以前、他の留置場でスタンガンで電気ショックを与えられたことがあるため、3万ボルトのスタンガンを持って私の目の前で行き来する警官を見て、自分は絶対スタンガンに耐えられないと思い、私は不本意に「転向」に同意しました。「転向」して大法と師父を裏切った私は解体しかないと、絶望しました。しかし、自殺したら大法に泥を塗ることになるので、自殺もできませんでした。生ける屍のようでした。

 留置場から出所後、私はずっと監視を受けていました。悪いことをした自分はきっと師父に見捨てられていると思いました。そして、私は心底、中国共産党に対して深い憎しみが生じました。心身ともに大きな苦痛を被った私は、人生に対して絶望的になり、これからどのように生きるべきか。私は師と法を信じることから解答を探さずに、常人のレベルの中で解決方法を探そうとしました。

 このような考え方に駆使され、私はネットで中国共産党に反対する「正義を持つ」男性と知り合いました。頻繁にメール交換をして、私の心は彼に満たされて慰められました。だんだんと彼に対して、私の気持ちは尊敬から愛に変わって、最後には、彼の計画的な誘惑で重罪を犯しました。

 彼と一緒に中国の南方にある彼の実家に行き、彼の妻の嫉妬の顔を見て、私は深く恥を感じました。やっと師父がどうして「良い暮らしをしようとすれば、他人の利益を損なうかも知れないし、利己主義を助長するかも知れません。人の利益を横取りしてしまうかも知れず、人をいじめ、人を傷つけるかも知れません。(『転法輪』)」とおっしゃったのかが分かりました。もともと、自分が美しい恋愛を求めるのは何も悪いことではないと思っていましたが、あの時、私はやっと本当に彼の妻を傷つけたことを認識しました。何度も考えて、私は彼にこのような関係を断ち切ろうと言いました。彼はものすごく私を侮辱しましたが、自分が犯した罪は自分で償うしかないと思い、私は黙々と耐えました。

 その後、2008年1月、里帰りのラッシュ時期に中国の南方はたいへんな雪災害に遭遇し、すべての列車が運転停止になりました。たくさんの人が何日間も並んでやっと手に入れた列車の乗車券の払い戻しをしなければならない中、私は運よく航空券を手に入れました。飛行機に乗る当日、高速道路は深い霧のため閉鎖されました。私はもう諦めかけた時、新しく開設したマルチユニット列車に乗れば空港に行けると教えられて、私は飛行機に乗り、運よく郷里に帰ることができました。

 (続く)

 2010年1月10日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/12/15/214427.html

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