■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/01/12/mh130039.html 



もう一度修煉に戻った体得(三)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)

 三、法に基づいて全てを考える

 私は厳粛に自分の全てを反省しながら考えました。10数年の人生と今回の罪を犯した時の考え方を振り返ってみました。その男の人に私はどうやって頼る気持ちが生じたかを反省してみました。この迫害は修煉者に対する邪悪な検査で、修煉者の人心を狙って起きた迫害ですが、私はそれをただの政府と党派の「人」に対する迫害として認識し、俗世間で苦痛をなくす方法を探したのです。その考え方はまず完全に大法から離れていました。

 私の色欲が取り除かれていないため、旧勢力は彼の悪い思想を利用して、それをもっと悪くさせ、2人とも壊滅させようとしていました。最初、彼は私が迫害された事実を知って、修煉しようとも考えましたが、彼は最初の「良い人」からその後の「悪い人」に変わったのは、私にも責任があります。しかし、私は自分の悪い行為を是正して彼を説得しようとした時、彼のその後の態度と行為は彼の本心の反映となり、彼の過ちはきっと自分で償うことになります。

 最初、私は彼を恨んでいました。彼は私の人生を壊して、私の修煉も壊したからです。法理に対する認識が高まるにつれ、私は彼に対する恩讐の情を放下しました。師父はいかなる命の過去の罪も見ず、最大の慈悲で旧宇宙の衆生を救っています。今、私も彼に対して最大限に慈悲を持って、すべての自己を放下しなければなりません。故郷に帰ってからは彼に連絡していませんが、彼は自分の罪を認識して、改めることができるようにと祈ります。彼は大法の真相を知っているので、一時の過ちと私との間の恩讐のために修煉の機縁を見逃さずに、彼も修煉できたらいいなと願っています。

 労動教養所で私は「転向」して、出所後も大法の中で真に修煉していませんでした。旧勢力は今回、私の色欲の隙間に乗じて、色欲という形で私を迫害して、私の修煉に対する正念と自信を踏み潰そうとしていました。私は同修に自分の罪の行為を暴露した時、同修はとても驚いて、単純で善良に見える私にどうやってあんな事ができるの、これは社会にどれほど悪影響をもたらすかと嘆きました。私でさえ、今振り返ってみて、当時これらの事をどうやってしたのかも説明できません。罪悪感、羞恥心、大法に泥を塗った罪を返済できない恐怖感が私の心を引き裂きました。しかし、これで重荷を抱えて自殺するより、今後の修煉の道をしっかり歩み、それこそ本当に大法の偉大さを実証する方法だと思います。

 私は色欲を放下して、本質的な行為が発生しなかったら大丈夫と思っていました。そして、今の中国は性氾濫の社会となって、人間としての基準も失って、感情と肉体の刺激を求めるのは当たり前のように思われています。また、私は小さい頃から正統な教育を受けておらず、道徳の束縛がないので、とうとう無知に重罪を犯したのです。

 私は絶えず内に向けて探してみました。安逸心、怠け、苦しみに耐えきれず、俗世間のいわゆる幸せを求めたい執着があるため、私は精進できなくて、自分を厳しく律することができなかったのです。メンツ・名を重んじて見栄えを重視する執着があるため、私は自分の問題に直面できなくて、再三に隠して、1歩ずつ大法から切り離され、危険なところまで滑り落ちたのです。ここまで認識できたら私の心はだんだん清らかになり、思想業力と観念をはっきり見抜くことができました。法理に対する認識もだんだん冷静になりました。

 邪悪はこの巨大な魔難を利用して徹底的に私を壊滅させようとして、慈悲なる師父はもう一度私に機会をくださいました。私は内心から深刻に反省して、末法時期の社会の悪さを理解し、一層修煉の決心を固めました。色欲、情、私心、いわゆる世間の幸せを求めることはどれほど恐ろしいかを、あらためて認識できました。

 この魔難を乗り越えた私は、どんな罪を犯したとしても、法に則って認識して心性を高めれば、悪い事も良い事に変えられることが分かりました。これはすべて師父と大法の力、同修の助け、自分が内に向けて探したことの結果です。私の心は慈悲なる師父と大法への感謝と敬服でいっぱいです。

 (続く)

 2010年1月12日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2009/12/15/214427.html

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