内へ向けて探し 大法の玄妙さを体験した
(明慧日本)最近座禅をするとき、足が痛くて長く耐えられない状態が続き、しかもプリンタがいつも詰まるようになりました。学法することが少なくなり、大法の活動がしっかりとできていないと思いましたが、内へ向かって探しませんでした。いろいろな方法を試しても、プリンタは直りませんでした。
同修は修煉体験談からも、パソコンとプリンタが故障することは心性と関係していると言いました。私はあまり気にしませんでした。十数日後のある朝、私と夫がお金のことで口喧嘩になったとき、初めて内へ向かって探しました。
一つの原因は、自分がトラブルにうまく対処できてないときは、法の基準に基づいて考えず、内へ向かって探さず、自分を修煉者と考えていないからです。その時、心は人心でいっぱいです。人心を用いてトラブルに対処できるでしょうか?
もう一つの原因は善の心が足りないことです。大法を得た生命は神の道を歩んでおり、師父と正の神が守っているので、もっとも幸運だと言えます。しかし、夫は常人で迷いの中にいますので、最も苦しいのです。私は1人の常人と言い争っているのです。私の善なる心はどこに消えたのでしょうか? 慈悲心はどこに行ったのでしょうか?
その後、学法を通じて、ものごとに対処するときは、自分を修煉者として扱っていないので、自分の場が純粋ではなく、慈悲のエネルギーが足りないと悟りました。その結果、座禅するとき足の痛みが和らぎ、プリンタが正常に作動を始めました。
これらの変化は、自分が内へ向かって探した結果、心性が向上し、自分の場のエネルギーが純粋になったからだと分かりました。心の中で何度も師父に感謝を言い、大法は心から玄妙だと感じました。
2010年1月15日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/12/22/214794.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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